竜の祭日
端午節は端陽節、五月節、夏節などと呼ばれ、中国の三大民俗祭日(春節、端午節、中秋節)の一つで、端午は陰暦五月五日にあたり、とても古い祭日である。「端午」は最初は「端五」と呼ばれていたが、「五」と「午」が同音なため、のちに「端五」を「端午」と書くようになった。現代の有名な学者聞一多先生の考証によると、端午節の起源は、遠く屈原が生まれる以前にさかのぼり、また端午節の多くの風習が竜と関係のあることから、「端午節は……古代呉越民族――竜をトーテムとする民族が行ったトーテム祭の祭日で、略称すれば竜の祭日である」という。近年になって広東、広西、福建、台湾、浙江、江蘇、安徽、湖南、湖北などの地方で、続けさまに新石器時代末期から秦漢以前にかけての、幾何学的印紋のある陶器と石器を特徴とする文化遺物が発見されている。この種の文化遺物について、歴史の伝説と地理を結びつけて考えた時、これはトーテム崇拝の歴史上百越と呼ばれている民族のものであるらしい。彼らは「髪を切り、身体にいれずみを施し、雄々しくよそおって竜に似かよわせる」という民間の風習があり、自分たちを竜の子孫と見なしている。この端午節は彼らの祭日であり、竜の祭日ともいえる。

トーテム文化が失われてから、典型的なトーテム社会の古い形態は、いれずみで竜に仮装することから、端午節の竜船に変わった。この竜船は、いれずみの範囲が人間の身体から身体以外のものへと発展した現れである。

民間では、端午節にちまきをつくる伝統があるが、もともとこれは竜を祭るためであった。多くの地域では、端午節に雨水を集める風習があり、この日降った雨水は天の竜が下界にそそいだ聖水で、災いを除き病を治すといわれている。ある地方では、昔、端午節の時に、川の中心でとぐろをまいた竜の鏡を鋳造し、雨乞いのまじないとした。このことからも私たちは原始信仰の変遷をうかがい知ることができる。最初、トーテム社会の人々は、自然界に対してきわめて無知で無能であったため、自然勢力の脅威のもとに、竜を一種の神秘的な超自然の力を見なして崇拝した。のちに人類社会の進歩につれて、人々はたえず自然を制圧し、改造する効果的な方法を身につけ、自然を征服する自信をたかめ、次第に幼稚なトーテム文化から抜け出すようになった。この時になって、端午節は遠い昔のこの竜のトーテムを崇拝する祭日としての意義を失い、転じて中国戦国時代の偉大な詩人屈原と結びつくようになった。

 


 

 

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