わたしたちはみな、幼い頃に正月や祭日を待ちこがれた思い出をもっている。正月や祭日になると、″女の子は花を欲しがり、男の子は爆竹をねだり″、 豊富でおいしいご馳走を食べられるばかりでなく、色とりどりの晴れ着をまとって、思う存分に遊ぶ。お祭りの種類と土地がらによって、その遊びもそれぞれ異なってくる。たとえば、春節(旧正月)にはドラや太鼓をうち鳴らして獅子舞や竜灯舞をおどり、端午節には竜船競漕をおこなう。仲秋節には月をめで、重陽節には登高(高い場所に登る)がある……。また、少数民族には歌合戦、月光の舞(求愛の踊り)、たいまつ祭、水かけ祭、闘牛、羊奪い、競馬、相撲、ハーダー拾い騎馬競走、姑娘追(娘に追いかけられる遊び)……などがあり、まさに種々さまざまで、すこぶる豊富である。お祭りの期間には、人々は一種の神秘的な快楽の雰囲気に包まれて、心はのびのびと明るい希望に満ち溢れる。このため、子供たちが正月や祭日を待ちこがれるだけでなく、大人でさえも男女ともに心がおどるのを抑えることができない。

  昔から中国には百余種の暦法があり、そのうち、一番使われているのが、陰暦と西暦の二種類であった。西暦は地球が太陽のまわりを一回転するのを元にして四季を定め、一年を十二カ月にわけ、総計三百六十五日、四年ごとに閏年をおき、二月の最後の日に一日加え、三百六十六日にした。こういう計算方法は、毎年の時間差が比較的少ないため、世界各国で広く採用されている。現在、中国でも西暦を使用している。

  陰暦は農業の生産にもとづいて定められた。このため、またの名を農暦とも呼ばれている。これは中国の古代に使われた暦法で、伝えによると、夏の時代にはじまり、すでに三、四千年の歴史がある。

  陰暦はそのじつ西暦をもとり入れてあり、月が地球を一回りする期間をひと月とし、平年は十二カ月、総計三百五十四日、閏年は一年十三カ月、総計三百八十四日ある。中国の古代には、一年を二十四節気にわけ、一つの節気にはそれぞれ三つの兆候があり、七十二候と称していた。これらの節気は農業の生産にもとづいて分けられてあるので、数千年このかた、ずっと人々に愛用されてきた。

  中国には、一年じゅう、いろいろな祭日があり、その多くは陰暦で計算されているが、これは長い歴史の年月を経て、人々がつくったものである。これらの民族的色彩の濃い祭日と風習は貴重な民族文化の一部分を構成している。そして、これにはおおむね関連した物語がともなっており、 その物語にはひとつの民族が過去の生活の中でなめつくした、楽しみと苦しみの思い出が秘められている。過去をふりかえって現在を知る。中国の伝統的な祭日と風俗習慣を探り求めるには、歴史の窓をひらき、そこから私たちの祖先の思想や情趣、昔の生活をのぞき見る必要がある。

  祭日はだいたい四つの部分に大別される。

  (一)歴史的な事件と英雄的な人物を記念する。たとえば、端午節は偉大な愛国詩人屈原を記念し、清明節は忠臣介子推を記念した祭日である。

  (二)ある祭日は神話や伝説にもとづく。たとえば、春竜節は竜が起き上がる日で、「七夕」は人の心を動かす優美な「牛郎織女」の神話を元にしている。

  (三)ある祭日は先祖や神霊を祀り、一年また一年と受け継がれてきたものである。たとえば、「臘八」の臘は合という意味で、新旧の年がつながる時に、天地、神霊と先祖をいっしょに「合祭」する意味である。また祭竈(かまど祭)は、言い伝えによると、炊煙を専門に司る「竈君」を祭る日であるという。

  (四)またある祭日は、一年の首尾に旧を除き 、新を迎え、吉祥を祈るためのもので、春節や除夕(大晦日)がこれにあたる。

 

 

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