「砂漠に住んでいる年を取ったお母さん」と呼ばれる奇琳華さん


今年73歳の奇琳華さんはなが年、北京、フフホト、オトク(鄂托克)前旗の間を奔走し、地元の人たちに「砂漠に住んでいる年を取ったお母さん」と親しみをこめて呼ばれている。

たそがれ時に近くない夕日

奇琳華さんは内蒙古自治区オルドス市(もとの伊克昭盟)の出身である。16歳の時に北京の蒙古チベット学校で勉強し、その時共産党の伊克昭盟地区の東郡工作委員会の仕事に参加し、それから革命のために尽す道を歩むことになった。新中国成立後間もなく、郡王旗(現在の伊金霍洛旗)の衛生院(診療所に当たる)院長となり、その後固陽県の県長代行となった。1955年には、昇進の機会を毅然として放棄し、中央民族学院の大学院生クラスに合格し、引き続き勉強し、造詣を深めることにした。終了後、再び古里に帰って、内蒙古建築学院で一般の教師になった。1977年に、中央民族学院に転勤して教務処の処長になった。1985年、重い病気を患っている夫の世話のため、奇琳華さんは早めに定年退職した。

この時、奇琳華さんは突然名状し難い虚しさと喪失感に襲われた。両親の教育、共産党の育成、同郷のお年寄りの人たちの期待に対して、なにひとつ報いるところがなく、まったく耐えられない気持ちであった。

なんの報いを求めることなく故郷に帰る

 1988年に、奇琳華さんは40年間離れたままであった故郷の伊金霍洛旗新廟郷の刀老傷村に帰った。4、50年前、ここはかつて水草が生い茂る美しいところで、ウシやヒツジがたくさん飼われていたが、今では、はてしない砂丘が意外にも彼女を茫然とさせ、なつかしい故郷を探し出すことができなくなった。

夜、暗い小さな明かりの下で、奇琳華さんは同郷の人たちの話しの中から、交通の不便、電気の線が架設されていないため、この地の人たちは一時的利益のため、もともとあった樹木を切り倒して家屋を建て、牧草地帯を破壊して開墾し、草原の植生を台なしにし、広大な面積の牧場、農地が非情にも黄沙に飲み込まれ、貧困をもたらしたことを知った。これを聞いて、心が痛み、奇琳華さんは自分に同郷の人たちのためになにかしてあげることはできないものかと考えた。いろいろ考えた末、まず電気と水利施設を建設するのがよいと考えた。そこで、奇琳華さんはその時就任したばかりの郷長と旗、盟や水利局、電力管理局を訪ね、あちこち奔走し、八方遊説してまわった。3年の努力を経て、郷里には電気が引かれ、小型の水利施設がつくられた。

水、電気が通じるようになって、奇琳華さんは急に明るくなった。「郷里が貧しいのは、主に土地の広大な面積の砂漠化であり、わたしは造林し、草を植え、植生を改造しなければならない」と語った。奇琳華さんは北京に戻ってなけなしの5万元を出して、まず麻黄草のテスト栽培に投下するつもりであった。遠い道のりで、交通が不便で、条件が悪いため、子どもたちは本当に心配し、そのため、奇琳華さんは家族会議をとくに開いた。奇琳華さんは「みんながわたしが疲れ、苦しむのを恐れている親孝行の気持はありがたいが、わたしにはわたしの考えがあり、わたしは郷里の人たちのために事を運ぶだけなのよ」と感慨深げに言った。

枯れることのない常緑の木

 1997年の春、奇琳華さんはオトク前旗に来た。ここは全国で最も貧しい旗(県)の1つで、自然環境が極めて悪いところでもあった。

奇琳華さんは80ヘクタールの土地を借りた。この一帯には10数間の捨てられたぼろぼろの家屋があり、一軒、一軒ぽつんと建っており、周りの果てしなく広がる砂丘がいつでもそれを飲み込んでしまう危険があった。それを見ると、心の中では本当に少しおずおずしたが、奇琳華さんは「仕事をやるからには、困難がないということはありえない。困難がないところには事業もない」と思った。

 経費が不足し、人手が足りず、条件がよくなく、任務がきつい状況の下で、奇琳華さんは実に歯を食いしばり、困難な環境の中で生存することを求め、発展を求めた。4年余りの間に、麻黄草を約66.7ヘクタール植え、羊柴、沙棘(砂のサネブトナツメ)、杜犁子などの苗を約13.4ヘクタール植え付け、周りの砂漠の中で耕地を100ヘクタール開墾し、防護林の樹木を1500本余り植え、飛行機による播種の砂漠化防止面積が約86.7ヘクタールに達し、砂地で成長しやすいウマゴヤシ、モクセイなど優良品種の牧草を20ヘクタール余り栽培し、緑の範囲が黄沙の中で少しずつ拡大し、ヒツジ、ブタ、ニワトリを飼育し、家屋を修繕し、柵で囲み、スプリンクラーを取り付けた。現在、農業、林業、放牧、栽培、飼育を一体化した、砂漠化を防ぐことと経済収益をリンクした現代化の牧草基地が一応の規模を持つようになった。昨年、麻黄の収入だけでも20余万元に達したという。

現地の農民、牧畜民を扶助して砂漠化を防止するため、奇琳華さんは骨身を惜しむことなく栽培した羊柴の苗を安い値段で売り出し、ある農民、牧畜民が本当にお金がないなら掛け売りして、あとでお金を返せばよいことにした。昨年5月、奇琳華さんと仲間たちが心血を注いだことでマウス(毛烏素)砂漠がだんだんと緑色に染まっている事績が中央テレビの「赤い夕日」番組で放送されると、奇琳華さんは国内外から1300余通もの手紙を受け取った。

奇琳華さんは「わたしたちは必ずこの地を砂漠化防止・緑化のモデル基地に築き上げ、現地の農民、牧畜民の手本を示すべきである」と語った。

「チャイナネット」2002年8月28日

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