1978年11月7日、上海宝山区月浦の東側にある干潟(ひがた)で、宝鋼プロジェクトの工事が始まった。鋼鉄・銑鉄の年産各600万トンとなる上海宝山鋼鉄総廠は当時、中華人民共和国の建国以来で最大のプロジェクトだった。
宝鋼はその設立時から、中国国内の従来の製鉄所とは異なっていた。宝鋼の技術導入の協議にあたっては、価格の照会・提示から契約書の締結までに1年以上の期間をかけ、7カ国の30以上のメーカーと100以上の専門代表団がかかわった。4500人以上の関係者が2100回余りにわたって協議のために中国を訪れた。最も忙しい時には、108カ所の協議テーブルが同時に設けられたこともある。1万3000回の技術導入協議が開かれ、320トンに達する文書や図面が使われた。
宝鋼は現在、長年の努力を経て、国内業界トップの座を不動のものとしている。また競争産業の中国企業としては、米「フォーチューン」誌の世界500社に初めてランクインした。宝鋼グループの年報によると、宝鋼の業績は02年から06年まで、売上高と純利益の両方で年々増加している。売上高は02年の777億2800万元から06年の1806億8100万元に増え、純利益は02年の39億9100万元から06年の129億3300万元と大きく伸びた。
宝鋼の設立から30年。当時干潟の上に立てられた製鉄所は、新設・拡張・再編・改造などを経て、中国鉄鋼業界をリードする存在に成長し、世界の鉄鋼トップ企業の仲間入りを果たした。
「人民網日本語版」 2008年10月08日 |