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農村を変えた三回の土地改革
発信時間: 2009-02-17 | チャイナネット

 (2)史上最大の土地改革  

木版画『土地改革法を争うように見る』
新中国が成立したばかりのころ、楡林村の村民の生活状態はどうだったのか。81歳になる馮儀さんと79歳の李栄祥さんの話を聞いた。

2人のお年寄りは口をそろえてこう言う。「共産党が指導した土地改革によって、私ら農民は解放されて立ち上がり、良い暮らしができるようになり始めたのです」

解放前、畑仕事で生きていた農民たちは、土地を持たないか、あるいは少ししか持っていなかった。一家が食べてゆくため、ある者は地主の土地を借りて作物を植えたが、収穫の半分以上を地主に納めなければならなかった。ある者は長年、地主の作男となった。楡林村でもっとも腕の良い作男でも、正月の5日から立冬まで1年270日以上死ぬほど働いても、手間賃はトウモロコシ6袋(1袋は75キロ)に過ぎなかった。

馮儀さんの家は貧しかった。小さいころから地主の家に働きに出され、草を刈ったり、豚の世話をしたり、庭を掃いたり、家畜小屋の中の藁を取り替えたりしていたが、1年に30キロの小麦しかもらえなかった。だから当時、馮儀さんの家はいつも飢えていた。

楡林村とその付近の村は、「老解放区」(新中国成立以前に解放された地区)であったので、1946年に土地改革が始まった。近代の中国では、「太平天国」(19世紀中期の農民蜂起)の指導者である洪秀全や偉大な民主革命家である孫文(中山)が「地権の平均」や「耕す者がその田を有す」という土地改革を提唱した。しかし、共産党が指導する新中国になってはじめて、農民の千年来の夢が実現したのである。

楡林村の土地改革は、村民一人平均である2ムーの土地を超す地主の土地が没収され、無償で土地のない、あるいは土地の少ない農民に分配された。当時、馮儀さんと李栄祥さんは人民政府の発給した「土地証書」を受け取ったとき、その喜びと感動は言葉では言い表せないほどだったという。

村民の斉福さんには3人の兄弟がいたが、以前は3人が地主の作男をし、1人は行商をしていた。一家は7人で、木と枝を組んで泥を塗っただけの掘立て小屋に住み、赤貧洗うが如き暮らしだった。

しかし、土地改革で土地を分けてもらった最初の年、一生懸命働き、他人の土地も耕して、大豆15袋、トウモロコシ30袋以上、雑穀6袋を収穫した。食糧は食べきれないほどで、余った食糧は換金した。そして2年目には5部屋もある大きなレンガと瓦の家を建てた。

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