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一汽──中国自動車工業の縮図 |
発信時間: 2009-06-21 | チャイナネット |
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自動車工場の建設と同時に、もう1つの問題が当時の中国政府を悩ませていた。それは、自動車製造工場について中国人が何一つ知らないことで、これをどうするかであった。最終的に、中国政府はソ連と合意に達し、中国から実習生をソ連のスターリン自動車工場(当時)に派遣し、自動車製造技術を学ばせることになった。1953年11月から1956年9月まで、中国は8回にわたって518人を派遣したが、これらの人々は中国第一汽車製造工場の中堅技術者となり、中国最早期の自動車製造者となったのである。
1956年7月13日、最初のトラックがラインオフし、それは「解放」と命名された。14日には第1弾となる12台の「解放」ブランドの自動車がラインオフした。これは、第一汽車製造工場の所期の目標が達成されたしるしであり、自動車を製造できなかった中国の歴史に終止符が打たれた。 中国で初めて生産された東風ブランドのセダンも今は中国一汽の展覧館に陳列されている
手作業で初のセダン製造 トラックがラインオフしたあと、中国一汽はセダン生産の研究製造に着手した。トラック生産には当時のソ連の援助があったが、セダンの生産は中国一汽の従業員にとって未体験のことであった。
1957年6月、解放軍の朱徳総司令官がチェコスロバキア(当時)が彼に贈ったスコダのセダンをサンプル車として一汽に贈った。8月になると、ソ連の「勝利」、フランスの「シムカ」、イギリスの「フォード・プリフェクト」などのサンプル車が長春に運び込まれた。サンプル車を参考にして、中国一汽は「模造を中心に適度に改造する」という方針でセダン製造の試みを提起し、副工場長兼技師長の孟少農氏の指導のもとに、まず製品のデザインを決め、エンジンとシャシは「ベンツ190」を、ボディ構造はフランスの「シムカ」をそれぞれ模倣し、車の外形と車内装飾は「シムカ」をベースに改良を加えることにした。
セダンの模型がないため、一汽の従業員は数本の鋼管で鉄板を固定し、ハンマーを使うという手作業でセダンの外装ボディをつくった。これに使った工具は今では中国一汽公司の展覧館に陳列されている。信じられないことだが、中国初のセダンはこうした工具によって生産されたのだ。
1958年5月12日、中国で生産される初めての小型乗用車「東風」の試験製造に成功した。これは流線型のボディに上部はぎんねず色、下部は紫がかった濃赤色で座席は6つ、冷温風装置がつけられ、ライトには民族色のある宮廷風のものが使われ、エンジンカバーの前部上方には小さな金色の龍の飾りがあって、エンジンの最大出力は514ワット(70馬力)、最高車速は128km/時、ガソリン消費量は100km当たり9-10リットルであった。 |
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