莫氏が「産業化」されるかはさておき、その文学的意義が最重視されるべきだ。莫氏は文学によってノーベル文学賞を授賞し、受賞前も中国国内外で文学により知名度を獲得していた。その他の、例えばイメージ、学歴、経歴、出身等には、「産業化」される価値がない。これは我々に、人々の文化産業に対する注目は、まず文化作品そのものに伴う効果に集中しがちだが、優秀な文化作品がなければ、発達した文化産業が形成されることはないことを教えている。そのため、我々はどのような目的で莫氏に注目するとしても、まずは莫氏の文学に注目し、その作品を読んで理解し、莫氏の文学価値によってその社会的含意、商業的利益を判断するべきだ。莫氏の文学を抜きにして莫氏を開発し、過大評価することは、莫氏にとって、その文学にとって不公平だ。莫氏の文学を「産業化」することが可能かという判断からも正確さが失われ、誤った道へ誘い込まれるだろう。
文化の産業化は一時的なブームではない。作品の他に、正確な分析、知恵を発揮した企画、持続的な推進が必要だ。長年が経ってから、我々は莫氏の文学の産業価値は、やはり著作権と本の出版にあることに気づくかもしれない。つまり文学作品そのものの出版による利益であり、その他はすべて一時的に消え去るものだということだ。莫氏の前に多くの作家がノーベル文学賞を獲得しているが、彼らの経験を学ぼうとする姿勢が、産業化を考えるための基本的な態度である。(編集YF)
「人民網日本語版」2012年11月7日