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古琴 文人の指が奏でる千年のメロディー
発信時間: 2008-05-04 | チャイナネット
 

 

 

1977年8月、アメリカの探査機「ボイジャー」は、古琴曲『流水』のメロディーをBGMに、太陽系の外に地球人の「知音」を探しに茫々たる宇宙へと旅立った。『流水』は「中国を代表する音楽」といってもいい古琴曲である。

 

琴とも呼ばれる古琴には、焦尾、緑綺、糸桐などの別名もある。20世紀以来、その悠久の歴史から、一般に「古琴」と呼ばれるようになった。

 

2003年11月7日、中国の古琴芸術はユネスコの「人類の口承及び無形遺産に関する傑作」リストに登録された。

 

古琴の悠久なる歴史

 

古琴に関するもっとも古い記載は『詩経』に見られる。「窈窕淑女、琴瑟友之(美しくたおやかな乙女は、琴を弾いて友と親しむ)」「我有嘉賓、鼓瑟鼓琴(賓客を招き、瑟を鼓し琴を弾いてもてなす)」と詠まれている「琴」とは、古琴のことである。

 

古琴の創始者については、古くから見解がまちまちである。いずれにせよ、およそ大昔の有名な氏族の首領たちはみな古琴の由来と関わりがあると考えられており、そのことから古琴がいかに中国古代の人々の心に崇高な地位を占めているかということがわかる。

 

古琴が「世界遺産」となり得たのは、中国のもっとも古い楽器であり、数千年もの長きにわたって伝えられてきたからというだけではない。精巧に作られた琴そのもののみならず、異なる時期に作られた曲が3000曲余り伝わっているほか、記録方法の独特な譜法、また数え切れない理論やさまざまな流派がある。中国文化の深奥かつ広大な精神世界を微に入り細をうがって描くことのできる古楽器は他に類がなく、古琴にはもっとも豊かな中国の伝統文化が内包されているといえる。

 

文人に愛された古琴

 

南宋の徽宗帝・趙佶が署名した『聴琴図』
古琴は古代から文人や士大夫(封建時代の官僚層)たちと密接な関係にあり、文人の音楽を代表する楽器であった。奥ゆかしい書斎、美しい山水にて、また数人の知己が曲水の宴に集まる風雅な集いにおいて、古琴はその特有の言語で、精神を養い理想の生活を語らうものであった。国が安定し民が安らかになることを願い、人格を磨き修養を積むという中国の文人の理想、人間は「君子の道」を歩くべしという精神を表現した。

 

現存する古琴曲には、文人の自然や人生に向き合ったものが多い。あっさりと落ち着いた『平沙落雁』、軽やかで奥ゆかしい『梅花三弄』、やわらかで繊細な『憶故人』、さっぱりとしてなめらかな『酔漁唱晩』、勢いの盛んな『流水』、もの寂しく悲壮な『広陵散』など、いずれも強烈な文人の気質や豊富な文化の内包を表している。

 

戦国時代(紀元前475年~同221年)の曾侯乙墓(湖北省随州市)から出土した十弦琴、また馬王堆3号墓(湖南省長沙市)から出土した前漢(紀元前206年~25年)初年の七弦琴は、秦の統一以前と漢代の古琴がすでに今の古琴の基本的な構造をもっていたものの、明らかに異なるところもあることを裏付けている。

 

もとの古琴は「半箱式」の楽器で、琴の体とつながった琴の尾は中の詰まった木であり、幅が狭く短い。この古琴には指で弦を押える場所を示す丸い点「徽」がない。南京の西善橋から出土した南朝(420~589年)のレンガに描かれた『竹林七賢と栄啓期』には、嵆康が琴を弾奏する様子が見られる。それを見る限り、魏晋時代(220~420年)の古琴は、今の古琴とよく似たものであったらしく、古琴の基本的な構造を持ち、その上に「徽」も見える。数百年の変化を経てきた古琴は、魏晋時代に一定の形に固定した。

 

中国哲学を体現する構造

 

人間の体と同じように、古琴には上から下に、琴額、琴首、琴体、琴肩、琴背、琴腰などの部位がある。琴の本体の表に象眼されている13の「徽」は、ほとんどが螺鈿で磨かれて造られるが、黄金、翡翠や白い玉などの宝石で造られるものもある。

 

古琴の製造は非常に奥が深く、現在もすべて手作り。北京「鈞天坊」古琴工作室で長年古琴の製作に携わる王鵬さんによると、一面の製作に2年あまりかかるという 古琴に用いられる材料にはこだわりがある。表面板には音のよく響く桐か杉の木を、底板には比較的硬めのキササゲの木を使う(写真提供「鈞天坊」) 古琴に塗る漆はすべて天然のもので、20回あまり塗り重ね、磨かなくてはならない(写真提供「鈞天坊」)


 

史書の記載によると、「天は円く地は四角い」という考えに呼応し、琴の体は「上が円く下が四角い」。13の「徽」は、12の月に閏月を加えた数を表している。古琴はもともと五行を象徴する五弦であったが、のちに周文王が一弦を加え、周武王がさらに一弦を加え、今の七弦となった。天地を模した古琴は、一年の節気に応じ、帝王の徳望を得る楽器なのである。すべてが、中国の「天人合一」という哲学思想を体現している。

 

古琴の楽譜も独特である。最初の「文字譜」から現在の「減字譜」まで発展させたのは、唐代の曹柔であると広く考えられている。「減字譜」とは文字通り、「文字譜」を簡素化して作られた楽譜である。「減字譜」が誕生し、広く用いられるようになったことで、古琴は古代の音楽資料を保存する宝庫となった。

 

「減字譜」は中国の特有の記譜方式で、中国の漢字を簡素化し、その簡素化された漢字に漢数字を組み合わせて作られる。音の高さとテンポを正確に記録する五線譜と異なり、「減字譜」は左右の手の演奏技法だけを記録し、具体的な音の高さやリズムは明記しない。古琴のこの「記指」の特徴が、「打譜」という楽譜によって演奏そのものをも非常に特殊なものとしている。

 

古代より、古琴は文人や士大夫の風雅を担ってきた 代々伝わってきた古琴の楽譜 著名な古琴曲『流水』の「減字譜」


 

「打譜」では、演奏者は楽譜によって演奏するだけではなく、楽譜の背景にしたがって楽譜にある文字を校訂しなければならない。楽曲の「前書き」でその境地をかみしめ、自分の理解によって一定のリズムでそれを演奏する。こうして、古琴の「打譜」は非常に柔軟性を持つものとなる。同じ楽譜の同じ楽曲でも、演奏者によって異なるメロディーが奏でられるため、「打譜」は演奏者による楽曲の再創作といっても過言ではない。演奏者たちの間では「大曲三年、小曲三月」というほど、「打譜」はその演奏のプロセスに非常に時間がかかり骨が折れるという。

 

古琴の楽譜は特殊な「指位譜(指の弾く位置を表す楽譜)」であるため、楽曲を完成させて正確に伝授するためには、師から弟子へ口承や以心伝心で教えなくてはならない。かつて師が楽曲を伝授するには、弟子と交互に弾きながら完全に一致するまで続けたという。

 

日本に伝わり国宝に

 

日本・京都の西賀茂神光院に収蔵されている唐代の写本『碣石調・幽蘭』楽譜
唐代以後、古琴は次第に周辺の国々へも伝わっていった。唐の開元年間(713~741年)、唐の帝王は古琴を国の贈り物として日本に贈り、友好を示した。この金と銀の象眼された「金銀平文琴」(735年製作)は、現在も日本の奈良東大寺正倉院に国宝として収蔵されている。

 

京都の西賀茂神光院に収蔵されている唐代の写本『碣石調・幽蘭』楽譜は、文字によって左右の手の演奏技法を表す「文字譜」で、現在知られている最古の古琴の楽譜である。清の末期、著名な蔵書家・楊守敬(1839~1915年)が日本に滞在中、この貴重な楽譜を模写した。その模本は1884年、黎庶昌(1837~1897年)が編集した『古逸叢書』に収録されている。このことからも、古琴が古くから文化交流の使者の役割を担ってきたことがわかる。

 

この数年、中国では古琴の保護がこれまで以上に重要視されるようになった。関係部門は、2002年から2012年までの10年計画で2200万元を投資し、人材の育成や楽曲の整理、録音データのデジタル化、楽器の保存や修復といったさまざまな方面で古琴文化の保護を進めている。北京、上海などの大都市では、ホワイトカラーの人々の間で、古琴の稽古がブームになりつつある。(劉世昭=写真 林晨=文・資料写真提供)

 

人民中国インターネット版  2008年5月4日

 
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