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元宵節の由来
発信時間: 2009-02-09 | チャイナネット

陰暦正月十五日は、中国の重要な伝統的な祭日である。古書に、この一日を「上元」といい、その夜を「元夜」「元宵」と称したとある。元宵節の名はこんにちまでずっと用いられている。この春節後の最初の満月の夜に、家々では身内の者が団らんして、共に佳節を祝う。この夜に、灯篭を飾って見物する風習があるので、この日を灯節(灯篭祭)ともいう。

元宵節の歴史は長く、早くも戦国時代に、正月十五日に灯篭見物をしたり、お月見をする風習があった。最初は太陽神を祭るためで、当時「東皇太一」あるいは「東君」と称した。元宵節が民間の祭日になったのは漢の時代で、漢の恵帝劉盈の死後に呂后が帝位を奪った。呂后の死後、一心に漢朝を保とうとしていた周勃や陳平たちは、協力して呂の一族を一掃し、劉恒を皇帝にした。これが漢の文帝で、文帝は群臣の建議をいれて、難民を救済し、心をくだいて国を治めたため、漢帝国はふたたび強大になった。呂の一族を平らげたのが、ちょうど正月の十五日だったので、毎年この夜に、文帝はおしのびで宮廷からぬけだし、民といっしょに楽しんで記念とした。古代に夜を宵といい、正月を元月といったので、漢の文帝はこれにちなんで正月十五日を元宵節と名づけたのだそうだ。

 

「チャイナネット」2009年2月9日

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