河南省太康県のある工事現場でこのほど、明代の墓が見つかった。ミイラは保存状態が良好で、墓誌銘などから墓の主は「顧朴」という名の右都御史、顧佐の後世と判断された。顧佐(1376~1446年)は司法官を務め、北宋の包拯にたとえられる。正統11年(1446年)死去。今回出動した墓は顧佐の孫の顧朴のものである。
文物部門の担当者は、「明代は汚職を厳しく罰し、役人の多くは薄葬だった。そのため、価値のあるものは埋葬されていない」と話した。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2017年3月28日