振興祥の中国服製作技術は清朝末期に金徳富成衣舗など30店舗以上で始まり、その後に杭州振興祥利民中国服工場が現在まで受け継ぎ、「中国服」を看板とした唯一の専門メーカーになった。1995年、包文其さんはここに配属され、システム的な製作に携わるようになった。写真は、呉山路にあった店舗。
中華文化は含蓄を重んじ、中国服は裁縫の跡が見えない作りになっている。全て見えないように裁縫されていることも中国服装文化の1つである。