謝成雨さんは12歳の時、現在のように「蜀繍」の含意を理解できていなかった。「最初は母親が刺繍をしているのを見て興味を持った」と話す謝成雨さんは当時、簡単で面白そうだと思ったが、母親から「学ぶからにはしっかりと継続し、中途半端になってはいけない」と言われた。
この約束のために、謝成雨さんは全ての週末と夏休み、冬休みをほぼ失った。彼は、「母親から毎日20本の糸を刺繍し終えないと遊びに行ってはいけないと言われ、友人が遊びにきても食事の時間になり帰宅するまで刺繍し終わらなかった」と話す。
謝成雨さんは子供の頃、泣きながら1つの作品を完成させていたという。彼は、「子供の頃は落ち着いて座っていられず、泣きながら刺繍をし、特に友人が外で遊んでいるのが聞こえると涙が出たが、母は情に流されることなく、息子に厳しかった」と話した。
「中国網日本語版(チャイナネット)」2019年6月28日