中日両国映画の現状を比較する

中日両国映画の現状を比較する。

タグ: 中国映画,カンヌ,日本映画,ハリウッド,利益重視

発信時間: 2012-05-15 09:41:11 | チャイナネット | 編集者にメールを送る

1990年代初期に中国映画がカンヌなどヨーロッパの映画賞を受賞したとき、かつての日本映画がそうだったように、作品には自国の文化的特徴が帯びていた。当時は中国映画の市場開放が始まったばかりのころで、張芸謀や陳凱歌など「改革派」のレッテルを貼られた新世代の映画人が活躍していた時代だ。彼らの野心や美的感覚は、従来の中国映画とは異なっていた。「覇王別姫」や「活きる」などの作品は、カンヌ映画祭およびヨーロッパ全体を震撼させた。

しかし、このやや浮足立った時代において英術映画は、高い評価を受けたとしても、それを商業ベースに乗せることは難しい。市場の両極化が強まっていると同時に、ハリウッド大作が席巻することによって、中国の封切り映画は急速に貧困なものに成り下がった。現在中国の映画館では2種類の映画しか見られなくなっている。ハリウッド映画と、中国のハリウッド映画の模倣作品である。芸術や文化に満ちた佳作は、受賞して名を上げない限り、映画館で観る機会はまずないだろう。

一方、カンヌのような大型国際映画祭での栄誉に対し、中国の映画監督の認識も変わってきている。謝晋や張芸謀や陳凱歌などの第四、第五世代の映画監督が国際賞を受賞した当時、彼らが背負っていたのは使命と栄光だった。使命とは、国家や国民の代表としての使命であり、伝統文化の継承という使命である。光栄とは、自分自身の光栄であり、芸術映画を作る監督としての栄誉のことである。しかし、中国大陸の市場経済の発展に伴い、まず映画というメディア自体に変化が生じた。政治宣伝の道具から文化宣伝の道具に変わり、その後利益を出すための道具に変わった。前述したとおり、観客は総じて文芸を味わう能力に欠けており、大陸の映画監督の一部は「売れる映画」を作るのに必死になっている。時には数千万、数億にのぼる製作費の高騰、半年の長きにわたる宣伝期間……。宣伝では役者から映画監督まで、自分の作品についてPRし続ける。中国映画人はみな拝金主義に陥ったというのは誇張かも知れない。しかし主流の映画人が利益重視であることは疑いないだろう。

日本映画に話を戻そう。今の日本映画は技術、人材、支援者、中身が備わっている。国際映画賞の受賞は少ないが、その評価は基本的に衰えていない。日本の映画監督にとってみれば、必要なのは変化するための時間、あるいはちょっとした運なのかもしれない。遠くない将来、周期的に訪れる国際的な文芸映画の流行の時期、日本の中堅や新世代の映画監督が再び世界で脚光を浴びると確信している。

「中国網日本語版(チャイナネット)」 2012年5月15日

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