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中国映画発展史
発信時間: 2007-10-08 | チャイナネット

一、形成期(1905-1931)

映画が発明された後、すぐ中国に伝わった。1896年8月11日、上海徐園で映画が初めて上映された。1905年、北京豊泰写真館による中国の最初の映画『軍山を定める』(譚鑫培が主演)が撮影された。1908年、中国の最初の250人が入れる映画館――虹口大戯院が上海で建てられた。1912年、アメリカの商人が上海で中国の最初の映画制作工場――アジア映画会社を発足させた。1913年、最初のプロットのある劇映画『難夫難妻』が誕生した。その後、中国映画が比較的に大きな発展があり、明星映画会社、民新映画会社、天馬映画会社、聯華映画会社をはじめとする映画制作会社が続々と成立され、『孤児救祖記』『故都春夢』などが撮影された。

二、成熟期(1931—1949)

1931年、明星映画会社が制作し、「映画皇后」とよばれる胡蝶が主演する中国の最初の有声映画――『歌女の赤牡丹』が生まれた。有声映画の制作成功は中国映画史の新たなページを開いて、中国は有声劇映画創作の繁栄期に入った。

1933年から1935年まで、左翼映画運動が上海で行われ、しかも盛んに発展した。明星会社が1933年5月に出品した、夏衍、程步高の監督による『狂流』(1933)が最初の左翼映画とされる。この時期に、袁牧之、 洪深、 瀋西苓、 孫瑜、 蔡楚生など著名な監督が多く現れ、『漁光曲』『馬路天使』『十字街頭』などの映画を作り出した。これらの映画を通して社会の暗黒をあばき出し、下層の人々の反抗と美しい理想への熱烈な追求を表し、多様な芸術イメージを作り出し、胡蝶、趙丹、周璇、 舒繍文をはじめとする著名な俳優が現れた。1935年3月、蔡楚生監督による映画『漁光曲』はソ連が開催したモスクワ国際映画祭では「栄誉賞」を獲得し、国際で入賞した最初の中国映画となった。

40年代の中国は解放の直前にある。この時期の映画制作は混乱な状

態となり、一部の投機映画業者がエロ、恐怖の映画をも多く撮影したが、映画作業者の努力のもとで、優れた作品もたくさん生まれた。例えば、蔡楚生と鄭君里監督による『一江春水向東流』、陽翰笙と沈浮監督による『万家燈火』、陳白尘と郑君里監督による『カラスとスズメ』、陽翰笙、趙明と厳恭監督による『三毛流浪記』などが挙げられる。この時期の映画はシナリオ、監督、演技にしても、撮影、音楽、美術にしても当時の最高のレベルに達し、30年代の映画創作に比べると、明らかな発展が見られる。

1948年、中国最初のカラー映画――『生死恨』が生まれた。『生死恨』は上海で撮影された戯曲映画であり、華芸映画会社の出品で、芸術大家の梅蘭芳の主演によるものである。

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