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| 映画『梅蘭芳』と実の梅蘭芳、その違いは?①家柄 |
| 発信時間: 2009-02-12 | チャイナネット |
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| 陳凱歌(チェン・カイコー)が監督した映画『花の生涯 ~梅蘭芳~』が中国各地で次々と上映され、好評を博している。京劇名優の生涯を描いた『花の生涯~梅蘭芳(メイランファン)~』が第59回ベルリン映画祭のコンペティション部門の唯一の中国語映画となり、他の17本の諸外国の映画とともにグランプリ金熊賞を競い合うことになる。 映画『花の生涯 ~梅蘭芳~』は歴史事実を厳格に追求した伝記的映画ではなく、登場する多くの人物は、当時の実在人物のさまざまな側面を織り込んで作り上げたものだ。映画で描かれた梅蘭芳と実の梅蘭芳との間にはどんな違いがあるか。 1.梅蘭芳の家柄
映画「梅蘭芳」と実の梅蘭芳(左) 映画――少年の梅蘭芳が伯父の残した1通の手紙を手にするところから始まる。この手紙が梅蘭芳の一生を貫いていく。手紙の内容から観客は、西太後の誕生日に、家に死者が出て出棺した際に紅色の衣服を着なかったため、禁忌に触れたとして伯父が殺されたことを知る。梅蘭芳は、老生(京劇で中年以上で宰相などに扮する人)として当時著名な俳優「十三燕」に育てられことから、「十三燕」をおじいさんと呼び続け、これが初めて京劇を学ぶ基礎となった。 史実――梅蘭芳は京劇の家柄に生まれた。祖父の梅巧玲は清代末期の著名な花旦(若い女性を演じる俳優)であり、伯父の梅雨田は京劇の胡弓演奏家だった。父の明瑞は、字は竹芬、小生(若い男性を演じる俳優)から花旦に改めた。母は楊隆寿の長女、長玉。8歳で芸を学び、著名な小生である朱素雲の兄の朱小霞を師匠とした。11歳で舞台に。骨身を惜しむことなく研鑽を積み、実践を重ねて、京劇という伝統芸術を継承、発展させ、独特の風格のある「梅派」を確立し、4大花旦の首となった。その演技は早くから内外に名を馳せたが、「梅蘭芳」という芸名を付けたのは16歳になってからだ。 2.梅蘭芳、一躍有名に ライバルと新出し物
青年の梅蘭芳が祖父と呼ぶ「十三燕」の原型は譚鑫培 映画――観客は1つのシーンに満足したのではないか。青年の梅蘭芳と祖父と呼ぶ「十三燕」が技を競い合う場面だ。2人は3日間で勝負をつけることを約束する。1日目、梅蘭芳は徹底的に負けてしまう。当時、「十三燕」は梅蘭芳を必ず負かした後の分け前について人と約束を交わしていた。だが2、3日目と、梅蘭芳は邱如白などに手助けされて新しい出し物「一縷の麻」と「黛玉の葬花」を打ち出し、「十三燕」を徹底的に負かす。最後に「十三燕」は、梅蘭芳に婚礼祝い用の翡翠の腕輪を与えると、恨みを飲んで死んでいく。その時、邱如白はこう語った。「おまえの時代が来た」 史実――梅蘭芳が名を成すのは、突然のことではない。それは十三燕の原型、譚鑫培の経歴により集約されている。譚鑫培は西太后が最も好んだ著名な俳優であり、内廷に祭られ、黄馬褂(黄色の官服)を賜与されたが、譚鑫培が最も大切にしたのは西太后から賜った翡翠と黄馬褂だった。譚鑫培はずいぶん久しく唱っていなかったが、突然、再び唱いだす。梅蘭芳属する班の主人は“恥をかかせよう”と、梅蘭芳は事情を知らないなか、譚鑫培との技の競い合いを画策したのだった。当時、梅蘭芳は古い出し物も新しい出し物も連続して唱いあげ、好評を博した。それは譚鑫培にとって圧力となった。後日、梅蘭芳はわざわざ譚鑫培をたずねて謝罪し、相手を「おじいさん」と呼び、譚鑫培も少しも気にすることはなかった。 映画では、梅蘭芳が2日間に2つの新しい出し物を打ち出したと描かれているが、これは現実には不可能なことだ。梅蘭芳にとって出し物の刷新は非常に大変ことで、最初の幾つかの新しい出し物では毎回、数カ月の練習が必要であり、決して一朝の功ではない。 「チャイナネット」2009年2月12日 |
· 陳凱歌監督が東京で映画『梅蘭芳』をアピール、美しい梅蘭芳に注目が · 『花の生涯~梅蘭芳(メイランファン)~』(日本公開: 2009年3月)
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