新疆の歴史と発展


五、新中国成立後の新疆経済の発展




    中華人民共和国成立前の新疆では、国民経済は農業と牧畜業を主体とする自然経済であり、工業は非常に立ち遅れ、鉄道が一本もなく、これといった工場と鉱山がなく、一部の地方では食糧不足がたえず発生し、人民の生活が貧困きわまるものであった。1949年9月25日、新疆は平和裏に解放され、1955年10月1日、新疆ウイグル自治区が成立し、新疆の歴史的発展の新しい一ページが開かれた。50年来、新疆の経済・社会諸事業は急速な発展をとげた。

    国民経済は急速に成長している。2001年の新疆の国内総生産(GDP)は1485億4800万元に達し、不変価格で計算して、1952年より41.9倍増加し、年平均伸び率は8%に達した。一人当たりの国内総生産は1952年の166元から2001年の7913元に増えた。2001年の財政収入は178億700万元に達し、新疆ウイグル自治区が成立した1955年の1億7300万元と比べて101.9倍増えた。産業構造はたえず調整、最適化され、2001年の第一次、第二次、第三次産業の国内総生産に占める比率はそれぞれ19.4%、42.4%、38.2%であり、1955年と比べて、第一次産業の比率は35ポイント低下したが、第二次産業は16.3ポイント、第三次産業は18.7ポイントそれぞれ上昇した。

    農業の総合的生産能力は著しく向上している。50余年特に改革・開放以来の開発と建設を経て、新疆の農地灌漑網は初歩的に形成され、近代的施設はレベルアップした。2001年の農業機械総動力は880万8500キロワット、農業用化学肥料の使用量は83万2900トン、農村の電力使用量は25億4500万キロワット時であり、新疆全域の播き付け面積は1955年比一倍増の3404万1200ヘクタール、食糧、綿花、テンサイの総収量はそれぞれ796万トン、157万トン、455万トンに達し、1955年と比べてそれぞれ4.4倍、61.5倍、4550.2倍増えた。前々から名を馳せているトルファンのブドウ、クルレのナシ、ハミのウリは国内外の市場に出荷され、特色のある園芸業、栽培業は近年来急速な発展をとげている。農業と牧畜業を結びつけ、科学技術に頼る近代的牧畜業はたえず発展し、2001年末現在の家畜飼育頭数は1955年より1.8倍増えて4603万7800頭に達した。新疆は全国最大の商品綿花、ホップ、トマトケチャップの生産基地、全国の重要な牧畜業とテンサイ糖の生産基地となっている。

    工業の実力は急速に強まっている。新中国が成立したばかりの時、新疆に工業企業は363社、年産額は9800万元しかなかった。2001年になると、全自治区に郷および郷以上の工業企業が6287社、工業増加値が450億元に達し、主要な工業製品の生産量が数倍増加し、原油生産量は1946万9500トン、原炭生産量は2819万6100トン、綿糸生産量は30万2700トン、発電量は197億6200万キロワット時で、1955年と比べてそれぞれ590.78倍、42.68倍、80.8倍、358.3倍増え、砂糖生産量は41万9800トン、粗鋼生産量は131万8300トン、セメント生産量は981万2900トン、化学肥料生産量は72万9000トンであった。工業実力が大幅に増強され、技術が著しくレベルアップし、農産物と副業生産物の高度加工を主とし、石油、石油化学工業、鉄鋼、石炭、電力、紡績、建築材料、化学工業、医薬、軽工業、食品などの資源工業を主体とする部門が基本的にそろい、一定の規模に達する近代的工業体系が形成されている。

    水利建設は著しい成果をあげている。「オアシス生態、灌漑農業」の特徴に基づいて、新疆で大規模な農地水利建設が繰り広げられ、タリム川総合整備プロジェクトが全面的に始動し、前後4回もボステン湖から下流流域に10億5000万立方メートルの水を輸送した。キジルダム、ホータンのウルグ・アタ水利中枢などを代表とする多くの近代的な大型水利工事と幹線・支線用水路とその浸水防止工事の完成で、全自治区の引水量、ダムの貯水量、有効灌漑面積は急速に増加した。2000年現在、ダムが485ヵ所つくられ、総貯水量が67億1600余万立方メートルに達し、1949年と比べてそれぞれ162倍と200倍増え、総灌漑面積は338万8000ヘクタールに達している。洪水防止用の堤防は5129キロ築かれ、その距離は1949年の289キロより17.7倍増えた。

    交通輸送業は飛躍的に発展している。新中国成立前の新疆では、人々が遠いところへ出かけ、荷物を運ぶ時は家畜を利用するのがほとんどで、近代的交通手段は基本的にブランクの状態にあった。新中国成立後の50余年来、新疆の交通運輸業に天地がひっくり返るような変化が生じた。1962年末、蘭新(蘭州=新疆)鉄道はウルムチまでレールを敷設し、新疆に鉄道がない歴史に終止符を打った。1984年、全長476キロの南疆鉄道のトルファンからクルレまでの西部区間が開通し、1990年、第二ユーラシアランドブリッジを貫通する全長460キロのウルムチからアラ峠までの蘭新鉄道西線が滞りなく開通した。1994年、蘭新鉄道の複線工事が完成して運営に入り、1999年、全長975キロの南疆鉄道のクルレからカシュガルまでの区間が完工して開通した。2001年現在の鉄道本線の運営距離は3010.4キロに達した。1949年当時、新疆には簡易道路が数本しかなく、道路の開通距離は3361キロしかなかったが、2001年末になると、全自治区の道路開通距離は8万900キロに達し、そのうち、高速道路は428キロ、一級道路は230キロ、二級道路は5558キロである。タクラマカン大砂漠を横断する砂漠道路は世界でははじめて流動的砂漠で建設した長距離の等級付け道路である。今日では、ウルムチを中心に、七本の国道を幹線とし、東は甘粛、青海を結び、西は中央アジア、西アジア諸国へ延び、南はチベットに通じ、自治区内の68本の省道と連結し、自治区の地区と市、県と郷を結ぶ道路交通運輸網が形成されている。新疆の民用航空はウルムチなど11の空港を建設、拡張し、ウルムチからアルマアタ、タシケント、モスクワ、イスラマバードに飛ぶ国際線を開通し、香港へのチャーター便の航空路と他省・自治区に飛ぶ航空路および自治区内のローカル線は92本あり、ウルムチを中心とし、国内外の65の大中都市、自治区内の12の地区、自治州、市を結ぶ空輸網が形成され、運航距離は16万1800キロに達している。

    通信施設は全国と同じ速さで発展している。いま、新疆ではいまウルムチ=クェードン=ボーロ=イリ、クェードン=カラマイ=アルタイ、トルファン=クルレ=アクス=カシュガル=ホータンのデジタル・マイクロウェーブ幹線回路、新疆南部・北部デジタル・マイクロウェーブ工事、西安から蘭州、ウルムチ、イーニン経由でホルゴス開港場に至る4本の幹線光ケーブル、ウルムチからトルファン、クルレ、ロチャン経由でモンヤから新疆を出る第二光ケーブル、ユーラシア光ケーブル、ウルムチから新疆南部・北部および各主要地区・自治州・市に至る光ケーブルが相次いで完成した。新疆のすべての県、市で全国各地に直接ダイヤルできる長距離電話が開通し、2001年末の新疆全域の電話数は262万6000戸に達した。デジタル通信網、マルチメディア通信網は急速な発展をとげ、各地区、自治州、市をカバーするATM広帯域ネットワークがつくられ、そしてIP広帯域ネットワークの建設が始まっている。移動通信ネットワークの能力は大幅に増強され、全自治区をカバーする移動通信ネットワークが建設され、全自治区の移動通信交換機の容量は292万4000戸に達した。

    対外貿易は急速に発展している。現金貿易、国境の小口貿易、原材料委託加工、補償貿易、観光ショッピング貿易など一連の弾力的で多様な貿易方式は新疆の対外貿易をめざましく発展させている。2001年現在、新疆は119カ国・地域と貿易関係を樹立し、商品は22種類、1000品種に達し、そのうち、輸出額1000万ドル以上の商品は10種で、全自治区の輸出入総額は17億7000万ドルに達した。輸出商品の構成がたえず改善され、付加価値がわりに低く、大口の初級生産物から付加価値のわりに高い機械・電子設備、精密計器などの製品に変わり、工業完成品の輸出に占める比率は67%に上昇した。国が国境沿い開放戦略を実施する重点的一級行政区域(省、自治区、直轄市)として、新疆では国境、橋梁(ユーラシアランドブリッジ)、交通幹線に沿って国際、国内向けに拡げていく全方位、多段階、広分野の対外開放の枠組みが徐々に形成され、中国の西に向かって開放する最前方となっている。

    観光業はあざましく興起している。新奇で独特な自然景観と絢麗多彩な風俗民情に頼って、新疆の観光業は目を見張らせる発展をとげている。2001年に新疆を訪れた海外観光客は延べ27万3000人、観光による外貨収入は9856万ドルに達した。国内観光客は延べ839万3000人、観光収入は71億8000万元に達した。観光受け入れ能力は急速に拡大されている。2001年、全自治区には海外観光客向きのホテルが250軒あり、そのうち、星クラスのものが173軒ある。観光業は新疆の国民経済を発展させる新たな成長要素となっている。