美しい白洋淀
何群征さん(65歳)は河北省白洋淀王家寨の人である。白洋淀に住む多くの人々と同じように、魚を捕ることが数十年来の生活の全てだった。だが近頃はもう魚を捕らず、毎日木製の小船に往来する観光客を乗せ、白洋淀の葦の間を行き交う。
何さんにとって白洋淀はこの世で最も美しい場所だ。春には、もえぎ色の葦が伸び始め、小高いところに立つと、縦横に走る水路や大小形も様々な沼が見渡せる。夏には、葦が人の背よりも高く伸び、一面にハスの花が競い合って咲き始める。船に乗って葦の間を行き交うと、ハスの葉の清らかな香が心に染み入る。葦の間に入る際は当地の人に先導してもらわないと迷ってしまうほどだ。秋には、葦は緑色から黄金色に変わり、刈り入れが始まる。冬には、女性たちのむしろやよしずを編む姿があちらこちらで見られ
る。白洋淀のむしろやよしずは、白くて緻密に編まれているので、人気の土産品だ。
茶紋松花蛋(ピータン)と紅心老エン蛋(塩漬け卵)白洋淀で放し飼いにしているアヒルが産んだ卵を用いた、白洋淀の特産品だ
総面積366平方キロの白洋淀は、華北平原で最大の淡水湖であり、河北省の中部に位置する。比較的乾燥している北方にとって、この水域は非常に貴重だ。「華北平原の腎臓」と称する人もいる。白洋淀は華北地区の生態環境を維持し、生物の多様性を保持し、稀少な動植物の保護に重要な役割を果たしているからである。
ここ数年の乾燥した気候は、元来洋々と水を湛えていた白洋淀の水位を下げ、水が涸れてしまう一歩手前まで追い込んだ。貴重な北方の湿地地帯を守るため、河北省は幾度にわたって上流の河川やダムから白洋淀に水を引いて補い、当地の生態環境を維持した。今年の夏、白洋淀の水深は4、5メートルに達し、葦やハスが生い茂り魚や水鳥も増えた。
以前、白洋淀の人々は収入の大半を、漁業やアヒルの飼育、葦のむしろ造りなどから得ていた。彼らの生活は単純、清貧で外部との行き来も少なかった。
改革開放以来、出稼ぎや商売が多くの村人の収入を増加させる主な手段となっている。興味深いのは、彼らが外で従事する仕事は水産物に関わるものが多いということだ。北京や天津の水産物卸売市場で魚やエビを売っている人も少なくない。何さんの三人の息子はみな北京で商売をしており、営んでいるのは水産物の冷凍倉庫で、やはり魚やエビを相手にしている。しかし外へ出稼ぎに行くのはさすがに苦労を伴うので、年配者や女性の多くは村に残っている。
2002年、白洋淀の所在する河北省安新県は、政府の管理と社会の参与という方式で、民間資本と社会の遊び金を導入して観光専用の船着場や道路、アミューズメント施設などを作り、観光業の発展に力を入れ始めた。
ここ2、3年、ますます多くの観光客が白洋淀を訪れている。それにつれて、何さんや村人たちも忙しくなった。代々伝わってきた魚を捕るための木製の小船が、今では観光客に人気の遊覧船となり、村人たちは見慣れてしまったハスの花、葉、花托も観光客には珍しく、アヒルの卵や新鮮な魚、活きたエビも見る人によっては驚嘆に値する。
王家寨の人々は魚を捕ったりむしろを編んだりする以外にも多くの収入を得て、外の世界に対する理解も深まった。彼らは、観光客が何に喜び何を欲しているのかを考えるようになっただけでなく、意識的に自らを変えるようになった。
何さんは、観光客が訪れるようになってから、村人たちの生活習慣がだんだんと変化してきたと話す。家の中の薪、廃物を道端に積んでおくことがなくなり、村の道路や公衆トイレも以前と比べるときれいになり、人々の家も清潔に整えられている。「客が来た時、家の中を清潔に整頓しておかないと面目ないよ!」何さんはこう説明する。
民俗村――今日の農家
王家寨の観光民俗村は元来の村からそう離れてはいない。新設された農家が整然と並び、道端の葡萄棚や菜園には果実や野菜がたくさん実っている。どの家にも2、3室の客室があり、生活設備が全て整っている。
この民俗村は村民委員会が統一的に企画し、水道、電気、道路などインフラ工事に投資し、その完成後、村人たちが自由意志によって資金を出し自宅を建設した。
観光客が民俗村を訪れると、村民委員会によって宿泊する農家を割り当てられる。そして各農家で1日3食を提供し観光客を接待する。宿泊費用(食費を含む)は1人1日85元。勘定は村が統一して管理し、村民委員会はそこから20元の管理費を取り、村の発展資金に企てる。
現在、民俗村で観光客を受け入れている農家は18戸、来年までにはさらに18戸増加する。1200戸以上ある王家寨からみるとごく一部だが、民俗村が大量の観光客を受け入れることによって、村の余剰労働力に就業機会を与えた。
何茂来さん一家は北京から来た7、8人の観光客を受け入れた。観光客が湖で遊び数匹のナマズを買ってくると、何さんがその魚を調理し、妻の張芸菊さんはひいたばかりのトウモロコシの粉で餅を焼き、次女の何娜さんは小さなフナを揚げている鍋をみながらタニシの炒め物用に葱や生姜を刻む。一家そろっての接待だ。
民俗村に移住した後の生活の変化について聞くと、張さんは笑いながら話してくれた。現在、彼女の家の年収は3、4万元で、その半分は5~10月の観光シーズンに観光客を受け入れた際の収入だという。秋になると夫の何さんはやはり魚を捕りにいき、冬になると張さんや女性たちはやはり一緒にむしろやよしずを編むそうだ。「私たち白洋淀のよしずは韓国や日本に輸出されています」彼女はそう誇らしげに言った。
張さんは屋上にあるソーラー・システムの温水器を指差して「もともと家にはこのようなものがなかったのです。しかし今はこれを設置しているばかりか、水洗便器、キッチン、浴室、それにトイレの壁や床もタイル張りにしてとてもきれいにしています。家族たちも、炊事道具はいつも清潔にし、毎日シャワーを浴び、シーツや枕カバーを客ごとに取りかえるなど衛生観念が出てきました。今では全てが当たり前の習慣となっています」と語った。
ちょうど炒め物をしていた何娜さんは「以前私たちの食事はとっても単純でした。適当に材料を買ってきて炒めればそれで良かったのです。葱やニンニクなどの薬味があれば使うし、なければないで済みました。今では、家に山椒、八角、葱、生姜、ニンニクを全て揃えていて、使わなければならない調味料は必ず使います。こうすると出来上がった料理はとてもおいしいです。それに『煎、炒、烹、炸、 (油焼きする、炒める、油でさっと炒めて調味料をかける、揚げる、弱火で煮込む)』など各種調理法を使います。多くの料理の作り方は観光客から学びました」と話してくれた。
白洋淀の人々は水辺に住んでいるので魚を捕る習慣があり、農作をすることは少なかった。彼らの生活用品は全て商人が船で運び込み村の入り口で販売していたが、食料品もそうだった。しかし観光客を受け入れてからは、各家庭では庭や菜園に様々な野菜を育てている。何茂来さんの家の庭にも、ヘチマ、キュウリ、サヤインゲン、ナス、トウガラシ、枝豆、トウモロコシを植えている。時には、観光客が自ら収穫し、採りたての新鮮な野菜を喜んで食べている。普段食べている野菜よりおいしく、トウモロコシの粉でさえほのかな甘味があるという。「ここは環境汚染がないし、化学肥料や農薬を使っていないのですから当然でしょう!」と何娜さんは言う。
多彩な農村観光
1980年代から中国の経済は高度成長期に突入した。収入が増加し、生活も楽になったが、仕事のストレスはだんだんと大きくなっていった。心身の緊張や疲れにより、人々は過去や平凡な生活を懐かしがり、大自然の中でリラックスしたいと渇望し始めた。
80年代末から90年代初めにかけて、大都市の周辺にある農村では休日になると都会人の姿を見かけるようになった。彼らは何もしないでぶらぶらしたり、山や水辺などアウトドアでの食事を楽しんだり、農家で採れたての野菜やトウモロコシ、放し飼いの鶏や卵を高値で買ったりした。これによって村人たちの市場意識が覚醒した。ここから、「農村観光」という観光形式が生まれ、まずは都市の周辺にある農村から始まり、多くの農村へと広がっていった。
村人たちは都会人を熱心に招き、草ぶきの家に宿泊させたり、古いオンドルの上で眠らせたり、農家の素朴な家庭料理を食べさせたりしている。
水辺の人々は、観光客を連れて魚やカニを捕ったり、船を出して釣りをしたりし、その「戦利品」を調理して食卓に並べる。山地の人々は、山菜やキノコ類で観光客をもてなす。また、果樹園や菜園に連れて行き、好きなものを収穫させたり、養殖、野良仕事、植樹、魚釣りなどを通して、農村の本格的な生活や民俗を体験させたりしているところも多い。
面白いことに、初めの頃農村観光に多くの人々を引きつけるのに一役買ったのは、現代化を代表するインターネットだった。ある観光客が自分の体験と感動をホームページ上に書き込み、それによって多くの人が参加したのだ。今では、比較的有名な農村観光スポットはみなインターネットを利用して宣伝をしている。
農村で生活する人々は、農村観光によって都会人と交流するようになったことで自分たちの視野を広め見識を深め、さらには市場情報を理解するようになった。このことは農村の経済発展に対して大きな効力を発揮している。観光業の発展は農村の道路建設と運輸業を繁栄させ、農業・副業生産物と手工芸品の生産販売を促進し、飲食業の発展を加速し規範化させた。これによって大幅に、農村の余剰労働力が就業する機会を与えられた。
ある大都市の近郊では、経済が比較的発展し科学技術の水準も高いため、「観光農業」が新しいブームとなって盛んに行われている。大きなビニールハウスでは一年中トマト、キュウリ、ピーマンなどが収穫できるようになったばかりでなく、野菜の「育ち方」も以前とは異なっている。もともと地に這って育つ野菜が、今では葡萄のように棚にぶら下がってなっているので、収穫や観賞に都合がいい。これらの農園で育つ大部分の農作物は無農薬で、水栽培しているものもある。観光客は有機栽培の新鮮な野菜を購入できるし、農園にはレストランや宿泊施設、レジャー施設が整えられているので、楽しく充実した休日を過ごすことができる。
近頃、各種の農村観光が全国で急速に発展し、その流行にますます拍車がかかっている。北京にはすでに316カ所の民俗観光村があり、宿泊農家は1万3819戸。四川省の成都には様々な規模・形式の農村観光を受け入れる農家が五千戸近くある。
しかし多くの地方において必要資金が欠乏しているため、農村民俗観光の規模は拡張しているといえども、その発展レベルは低いままにある。農村の道路、駐車場、公衆トイレ、ゴミ処理場、消毒防疫施設、消防施設、通信施設、宿泊施設、飲食衛生など様々なところにまだ問題が残る。この状況に対して、北京、上海、成都の三都市は農村観光への着手が比較的早かったため、サービスの質の等級分けや関連規準、管理方法でリードしている。そこには農村観光を健全で秩序あるものにし、発展を持続させたいという思いがある。
「人民中国」より 2004年12月6日