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中国農民の社会保障について
 

中国農民の社会保障は比較的複雑な問題であるので、まず私たちが討論する問題について前提を設定しなくてはならない。まず、私たちが討論する問題は中国の農村部に生じている事である。中国の行政区分から言えば、専ら県以下の行政区を指すものであり、つまり23199の郷、20312の鎮と73万2000の村のことである。第二、われわれの論題が対象としているのは農民である。いわゆる中国の農民は、その携わっている仕事から言っているのではなく、現行の政策によって都市の戸籍を持っているかどうかが定義の基準になっている。中国の統計用語では「郷村人口」と言われている。2000年現在、中国の「郷村人口」は8億7000万人であり、総人口の70%を占めている。第三、われわれが討論しているのは社会保障の問題である。中国では、社会保障は一般的には主に社会保険、社会救済、社会福祉という三つの部分からなると考えられている。社会保険は労働・社会保障部の管轄下にあり、社会救済と社会福祉は民政部門の管轄範囲に属するものである。社会保険については、現在中国の農村部で実施されているものは完全な意味での社会保険ではない。たとえば、養老保険の面では国際的に「貯蓄基金保険」と称される準社会保険制度が実施されており、医療保険の面では中国独特の「合作医療」制度が実施されている。中国農村部の社会救済は政府と地域コミュニティーが共同で提供しているものであり、社会福祉は主に地域コミュニティーの提供によるものである。

 中国農村部における最も伝統的な社会保障制度は社会救済制度である。この制度は1949年の建国当初から確立され、建国後の一年余の間に100万人余もの貧困者に対して緊急救済を与えた。この段階における実践によって、中国の農村部の人々の心の中に政府の「災害の際の救済・困難に対する救済」というイメージが確立された。

 50年代の中後期になると、中国農村部では「協同組合化」が実現し、農民のお産・老後・医療・葬式などはすべて「協同組合」およびその後の「人民公社」に頼ることになった。この時期における特徴は、集団福祉を主な手段として、高齢者や身体障害者の農民でも、体の弱い農民でも「協同組合」や「生産隊」から適当な仕事をもらい、ノルマの点数を稼ぎ、年末の最終配分にあずかり、基本的生活が保障されたことである。身寄りのない高齢者に対しても、集団による扶養によって「衣、食、住、医療、葬式」の保障、いわゆる「五つの保障」制度が実施され始めた。この段階においては、政府の救済はかえって二の次のもととなり、農民たちは地域コミュニティーを信頼できる保護者とみなしていた。

 「行動をともにし、お互いに助け合い、病気の時はみんなが援助の手を差し伸べる」という中国の伝統的な文化の上に、50年代初期の政府による救済および50年代半ば、後期の集団による福祉(実は地域コミュニティー福祉)が加わり、「政府プラス地域コミュニティー」という中国農村部における社会福祉の大きな枠組みが出来上がった。

 改革・開放の時期になると、80年代初頭に農村部では「一括請負」を主な内容とする「生産量リンク請負制」が実施された。それによって、中国の農村経済は速やかな発展を遂げ、農民の収入は徐々に増え、社会福祉に対する要求も変化するようになる一方、50年代以降踏襲されてきた集団経済は大部分の農村地区で崩壊に向かい、新しいタイプの農村社会福祉制度の構築が議事日程に上った。

 まず、政府が実施している現行の農村社会救済制度は「集団による保障」に取って代わり、主に農村部の「法的扶養者がいない、労働能力がない、収入源がない」といういわゆる「三つのない人たち」の最低の生活の必要を満している。救済方式としては定期・定量救済と臨時救済の二種類がある。1997年までに、農村部では政府の定期・定量救済を受けたものは73万人余、臨時救済を受けたものは2602万人で、救済金額は3億3,000万元に上った。80年代以来、この制度も絶えず充実化されてきた。

 第一、80年代に「貧困脱却扶助」という重要な農村における改革措置が登場した。「貧困脱却扶助」とはつまり、一定の生産経営能力をもつ農村の貧困家庭に対して、政策、意識、資金、物資、技術、情報など面でサポートし、生産経営活動を通じて貧困から脱却させることである。ここで説明しておかなければならないのは、中国の貧困脱却扶助事業は二つ大きな構成部分からなっている、ということである。一つは貧困地区に対する経済開発を指し、「大きな貧困脱却扶助」と称され、国務院貧困地区開発指導グループがこれを主導している。もう一つは、「小さな貧困脱却扶助」と称される貧困世帯に対するものである。これは社会福祉の性格をもつものであり、民政部の管轄範囲に属している。ここで指しているのは主に後者のことである。貧困脱却扶助事業は、ある度合いにおいて個別ケース処理、グループ作業、地域コミュニティー事業などの社会事業の手法を取り入れているものである。20年近くの努力によって、中国の農村部の貧困層は2億5000万人から2000年現在の約4000万人にまで減少した。

 第二、90年代に入ると、いったん「万能」と見なされていた貧困脱却扶助事業も、徐々にそれ自身の欠陥を顕在化するようになり、中国の貧困人口の中にはその力が及ばない人たちも存在するようになった。それゆえに、ここ数年、中国の都市部で確立された最低生活保障制度が農村部に広がりつつあり、現在すでに200余の県までその裾野が広がっている。上海、広東、江蘇、浙江、天津などの省、直轄市はすでにこの制度を「都市と農村の一体化」へと拡大させた。具体的なやり方は次の通りである。地方政府が最低生活保障基準を定め、家族一人あたりの年平均収入がこの基準より低い者は、政府および地域コミュニティーからの補助金がもらえる。民政部救災・救済局のデータによると、1997年現在、上海市の農村部住民の最低生活保障基準は、一人あたり年平均収入が1300―1700元とされている。この基準に基づいて、上海市の農村部ではこれまで13000人余の農村住民が救済を受けている。救済に当てられる費用は県(区)、郷(鎮)、村が4:2:1の比率で共同負担している。また、広東省、浙江省の基準は一人あたりの年平均収入がそれぞれ960―3000元、600―1800元であり(1996年現在)、この二つの省ではそれぞれ10万人余りと7万人余りの人々が最低生活保障を受けている。所要費用は同じく県(区)、郷(鎮)、村の共同負担としている。2000年までに、全国では300万人の農民が最低生活保障を受けた。

 次に、農村部の身寄りのない人たちに対して地域コミュニティー(郷、鎮、村)が「五つの保障」を提供する政策が続けられてきた。ただ、資金の調達方法は、郷または鎮が統一的に徴収し、地域コミュニティーに居住しているすべての農家も分担するということに変わってきている。2000年現在、地域コミュニティーによって扶養される「五つの保障」の対象者は208万人で、地域コミュニティーから拠出された費用は約21億元に上る。扶養方式には「集中扶養」と「分散扶養」の二通りがある。「集中扶養」とは、身寄りのない高齢者を地域コミュニティーが運営している老人ホームに招じ入れ、集団生活を送ってもらい、統一的に介護することであり、「分散扶養」とは、地域コミュニティーが生活費と実物を提供し、日常生活の世話をその親族や隣人に委託するというやり方である。

 農村部の「三つのない対象」を集中的に介護するために作られた福祉施設は地域コミュニティーの老人ホームである。現在、全国の4万3000の郷、鎮のうち、約70%にはすでに老人ホームができており、38万のベッド数を有している。ここ数年、数多くの地区では、家族の世話に頼りきれない高齢者にも老人ホームを開放し、合計28万人余を扶養している。

 また、豊かな農村部の農民はもはや基本的生活の保障だけでは満足できなくなっており、社会福祉の目標は生活レベルの向上に置かれている。80年代から、「集団主義」色がよりいっそう濃厚な長江デルタ地帯と山東半島、つまり江蘇省、上海市、浙江省と山東省の沿海地区一帯では、発達した郷鎮企業を経済の後ろ盾として、いずれも農民たちに手厚い福祉の待遇を与えている。地域コミュニティーの住民に住宅や医療、教育、文化、娯楽等の施設を割安価格で提供することが通常のやり方となっている。

 例えば、「華夏第一村」と言われている江蘇省の華西村は、現在すでに人口1万人の小都市へと発展している。村の380世帯はすべて、水道、電気、ガスの整った二階立てまたは三階立ての住宅に入居しており、すべての住宅には電話やエアコン、暖房設備が取りつけられている。1997年現在、村の工業、農業総生産は23億元に達し、一人あたりの年平均収入は約1万元に上っている。華西村の住民は老後には年金が支給され、病気にかかれば医療費用が支給されている。幼稚園から中等学校までの学費はすべて村が負担し、大学に受かった学生に対しては村が奨励金を与えている。何年か前に、マスコミに報道されたあるニュースが全国的範囲でセンセーションを巻き起こした――華西村は村住民のために、100台余の上海フォルクスワーゲンのサンタナ乗用車を一括して購入した、ということがそれである。

 80年代の半ば、農村部の社会福祉制度をよりいっそう科学的なものにするため、民政部は一部省、直轄市で「農村社会保障テスト事業」を展開し、現行の福祉モデルに「事前防止」および「権利と義務の統一」といった社会保険の要素を取り入れることを試みた。このテスト事業は、直接90年代初頭の全国的範囲の「農村社会養老保険制度」の確立へと導くことになった。農村社会養老保険制度は、シンガポールの「中央公的積立金」のモデルを基礎とし、中国の事情に合わせて一部手直ししたものである。1997年までに、全国ではすでに28の省(直轄市、自治区)の2100余の県で8200万の農民がこの制度に参加し、130億元余の資金を積み立てた。1998年、国務院の機構再編によって、農村社会養老保険事業は労働・社会保障部の管轄となった。これまで農村部の養老保険制度の発展があまりにも速かったため、妥当ではないやり方も見られた。例えば、経済の立ち遅れている地区も行政的手段によってその普及を強いることになり、マイナスの影響を及ぼし、この制度に対する見方の不一致ももたらした。従って、ここ数年は、この制度の改革と規範化に重点を置いている。2000年末までに、全国の農村部では6172万人が養老保険に加入し、農村養老保険基金の繰越残高は195億5000万元となった。

 農村合作医療制度は50年代にスタートし、20世紀60年代末に毛沢東主席じきじきの指示によって推し進められ、全国の農村地区に行き渡る制度に発展してきた。1976年までに、全国の90%以上の生産隊では合作医療制度が確立された。80年代の初頭に農村部では「生産量リンク責任請負制」が実施され、全国の大部分の地区では集団経済が徐々に崩壊していった。経済的基盤を失った農村合作医療制度は、制度そのものの不合理性もあり、つい崩れ去った。1989年現在、依然としてこの制度を実施している行政村は、全国で4.8%しか占めないことになった。90年代になると、農民の医療問題は再び政府の重視を喚起し、農村合作医療事業はまた議事日程に取り上げられた。農村の初級医療体制を確立する過程で、一部農村地区の合作医療制度が回復し、2000年現在、その比率は15%に達するに至った。

 中国における農村社会保障事業は以下の法則に従って発展してきた。一、地方政府の統一管理のもとで、農村の末端地域コミュニティーをよりどころとしたこと。二、地域コミュニティーと個人の資金共同負担。三、公平性と効率の一致。四、権利と義務の一致。五、社会保障を家庭保障とを結び付けること。六、保障レベルを経済の発展に適応させること。実践によって立証されているように、これらの法則にしたがって事を運べば、農村部の社会福祉事業は健全に発展することができ、これに反するならば、トラブルにぶつかるに違いない。

(唐均・中国社会科学院社会政策研究センター副研究員)

「チャイナネット」 2001年8月17日

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