日本で4年に1度行われる教科書検定が4月5日に終わった。右翼勢力の支持を受けている「新しい歴史教科書をつくる会」(略称・つくる会)が編纂して史実を歪曲した「新しい歴史教科書」も検定を申請して合格した。もしこの右翼教科書に何か価値があると言えるならば、それは反面教材にすることができる点だ。
この反面教材が作られた動機は、いわゆる「自虐史観」批判である。「つくる会」メンバーは「戦後ずっと続いた自虐史観の風潮の中で、人々は東京裁判(極東国際軍事裁判)の判決を盲信し、当時の戦争の原因と責任はすべて日本にあると考えている」などと公然と発言している。日本国内である程度あえて史実を記述した教科書に対して、彼らははばかることなく「自虐史観だ」「反日教育だ」と非難する。彼らのいわゆる「正しい歴史」編纂の方針は、日本人が「誇りを持てる」ために「多くの資料から自らに不利なものを削り、自らに有利なものを探す」というものだ。
侵略を美化し、史実を歪曲し、罪の責任から逃れようとする日本の右翼教科書は、人類の正義と良知への挑発であり、被害国人民の感情を著しく傷つけるものであり、また日本の青少年の思想に対しても有害だ。これが中国人民を含むすべてのアジア被害国人民の、強く激しい非難を浴びるのは当然だ。もちろん、一般の教科書をどう編纂するか、そうした教科書をどう検定するか、青少年をどう教育するかは、確かに日本人自身の事情である。だが、この日本の教科書は普通の教科書ではない。これはアジア近隣諸国に関する記述や、日本軍国主義の対外拡張という歴史的事実の粉飾、改ざんにかかわる問題だ。これは明らかにすでに日本の内政の範囲を超えており、日本と近隣諸国との関係や、近隣諸国の人民の感情を傷つけるか尊重するかにかかわることだ。日本の文部省は1982年11月、教科書検定の基準を改正した時、かつて「近隣諸国条項」の規定を補充したことがあった。この規定は「近隣のアジア諸国との間の近現代の歴史的事象の扱いに国際理解と国際協調の見地から必要な配慮がされていること」というものだ。20年あまりの時を経て、日本政府はまさかこうした内容を全て忘れてしまったと言うのだろうか。
教科書問題の本質は、日本が日本軍国主義による侵略の歴史を正しく認識して対応できるかどうかであり、正しい歴史観で若い世代を教育できるかどうかである。日本政府がこの分野で大きく後退したことには、警戒を禁じえない。日本政府は「教科書検定制度の特殊性」を責任逃れの口実とするが、これは口実として全く頼りないものだ。この点では、ドイツは最も明るい鏡である。ドイツは連邦制を施行しており、教育は連邦を構成する各州が責任を負う。このため全国統一の教科書はない。中学校の種類や学年数などの要素にあわせ、歴史教科書は種類が非常に多い。だがこれは歴史教育を勝手気ままに行えるというものではない。ドイツ教育相の合同会議による特別政令では、あらゆる類型の中学校が必ずナチスの歴史を詳しく教えなければならないと強調している。フランスでは第二次世界大戦中、ビシー傀儡政権がヒトラーと結託して、ユダヤ人をひどく迫害した。この恥ずべき歴史についても、フランスの歴史教科書は少しも粉飾を加えていない。
今年は世界反ファシズム戦争・中国人民抗日戦争勝利60周年であり、また国連創設60周年でもある。当時、枢軸国を構成していた日本とドイツは、今ではいずれも経済大国となった。しかし両国が国際社会において直面している反応は全く異なる。主な原因の一つは、両国の当時の侵略の歴史に対する姿勢が全く異なるからである。右翼教科書のような反面教材や右翼教科書の編纂者のような反面教師は、日本が誇りや信頼、尊厳を勝ち取るためのものにはなりえず、日本に疑念、詰問、憤激をもたらすだけである。日本政府の容認行為は、この反面教材に恥ずべき一筆を添えただけだ。日本と周辺近隣諸国との関係において、現在見られる動向に関連して、日本が今後アジアの中のどこに身を置こうとしているのか、われわれはわからない。これは日本の為政者が深く考えるべきことである。
「人民網日本語版」2005年4月6日