チベット族は中国の56の民族の中で人口がかなり多く、分布地域が広い民族の一つである。チベット族の分布地域はチベット自治区を主とするほか、さらには青海、甘粛、四川、雲南などの省にも分布している。
チベット族はチベット仏教を信仰する民族であり、同時に歌や踊りに長じる民族でもあり、民間の歌と踊りの種類は非常に多い。これらの踊りはすべて豊かな文化の内容とユニークな踊りの形態を持っている。チベット族は分布が広く、暮らしている地域と生産様式も異なり、隣接地域のその他の民族と文化、風俗習慣において絶えず交流、融合してきたため、各地域に住んでいるチベット族の民間の踊りの異なった風格が形成されることになった。
チベット族の踊りは全般的に民間における自分たちで楽しむ踊りと宗教の踊りの二種類に分かれている。そのうち、自分たちで楽しむ踊りの中の歌と踊りを主とするグループで輪を作って踊るものは一般に「諧」と呼ばれているが、輪を作って踊る踊りの中のかなり強い演技性を持つグループの踊りは「卓」と呼ばれている。このほか、「卓」の中で、さまざまな太鼓の伴奏に合わせて踊る踊りもよく見かける。
『果諧踊り』
『果諧(ゴシェ)踊り』は、チベットの多くの地域に伝わっている、チベット族の人々に非常に喜ばれている自分たちで楽しむ、輪を作って踊る踊りである。祭日になると、人々は歌いながら夜明けまで踊り続けることもある。男女の順番にする音頭と合唱に伴って、人々はステップが着実かつ穏やかで、リズムがはっきりした踊りを踊るのである。
チベットのロカ地域の『果諧踊り』の形態は自らの特徴を持つ。まず、男女がそれぞれ半円形の輪の形の隊列を作って、時計の針の逆方向に回るように歌が終わるまで歩き、それから踊りのリード役が「シュシュシュシュ!」または「ツィツィツィ!」という叫び声を出してから踊り始める。踊りの始めは、男女の踊り手がそれぞれ極めて速いテンポで順番に一段落一段落の踊りを踊り、男女の踊りチームの間で踊りのテンポを競い合っているようであり、緊張感がみなぎり、興奮のるつぼに浸るようである。このような熱気のこもった快速な踊りが何回かくりひろげられてから、踊りのリード役がみんなと踊ると同時に快速かつユーモラスな「演芸歌」を一段落加えて、みんなはまた一斉に楽しそうに興奮して「シュシュシュシュ!」という叫び声を出して踊りを終える。
『果卓踊り』」
輪の形をなして踊る『果卓(ゴチョ)踊り』はチベット族の人々が極めて熟知し、好んでいる自分たちで楽しむ踊りである。踊りの動作には、動物の姿を真似たものや、互いに愛を表わすなどの踊りの語彙が含まれている。各地域にそれぞれの方言があるため、『果卓踊り』もさまざまな呼び方があり、踊りそのものにもそれぞれの特色がある。
農業地帯に暮らしているチベット族の人々の『果卓踊り』はスローテンポの歌唱とクイックテンポの踊りの二つの部分からなり、テンポはスローからクイックまでである。始めは、男女がそれぞれ半分の輪の形に立ち並び、手をとり合うか手を前の人の肩に掛ける。順番に唱和する中で足を振ったり地を踏んだりして丸に沿って進む。歌が終わると、みんなが口を揃えて「ヤーヤ!」と高い声で叫び、そしてすぐ長い袖を振ると同時に、目の前ですばやく手を振り、ヒップを回転させ、しゃがんで踊り、体を回転させるなどのステップで踊る。踊りがクライマックスに達する時、また叫び声を入れて人々の情緒を奮い立たせ、最後にはこれ以上加速できないぐらいのリズムで踊りを終える。
牧畜地域では、『果卓踊り』の形は農業地域と基本的に同じだが、動作の多くは胸の前で手を揺れ動かし、跳びはね、前方へのじだんだのステップから左右への仰向きでの回転と同じ側の手と足を使う踊りを主とし、その他の動作は基本的に農業地域と同じである。
甘粛省南部のチベット族が集まってすんでいる地域の『果卓踊り』はチベット自治区内の『果卓踊り』」と比べると、さらに特色がある。この地域の『果卓踊り』は動作の振幅が大きく、踏んばりと跳びはねと回転が自由自在に組み合わされ、地方色が豊かである。新年やめでたい祝賀行事または友だちの集いなどのたびに、人々は興奮して『果卓踊り』を踊りだす。大切な祭日になると、各郷と町から駆けつけた1万人以上のチベット族の人たちが晴れ着姿で幾千もの人が一緒になって踊る。
『堆諧踊り』
チベット族の人々はチベットの最も高い地点にあるヤルツァンポ川上流のティンリ、ラズェ、サキャ及びアリ一帯を「堆」(ドォ)と称し、ここの農業地域ではやっている自分たちで楽しむ、輪を作って踊る踊りを『堆諧(ドォシェ)踊り』と呼んでいる。のちに『堆諧踊り』から演技的特色のある男性の「タップ・ダンス」が派生しため、『堆諧踊り』は次第にラサなど地域でも盛んにはやるようになった。
『堆諧踊り』には長い歴史がある。西暦17世紀以前、『堆諧踊り』は歌だけで唱和するものであったが、のちにギターが伴奏楽器として取り入れられ、ギターによって『堆諧踊り』の唱和歌曲の序曲、間奏曲、終わりの曲の演奏が行われることになった。17世紀の半ばに至るまで、年一回の「雪頓祭」において、各地のチベット芝居の劇団がラサに集まり、「チョンバ・チベット芝居劇団」が演じたチベット芝居の中にギターで伴奏した男性『堆諧踊り』を組み入れ、そのりっぱな演技は人々の注目を浴びた。それ以後、この踊りはラサに伝わった。のちに民間の芸人たちの相互交流と改善を経て、もとの基本的ステップを踏まえて、足でリズム感のある音を出す新しいステップを編み出し、踊りの構成と筋書に対し再規範を行い、そこから新しい踊り――男性「タップ・ダンス」が生まれた。近現代に入って以来、伴奏楽器の面で揚琴(梯形の木製の箱に多数の弦を張って竹製の棒でたたく打楽器)、笛、胡弓、房状につながった鈴などを逐次加えたことにより、男性「タップ・ダンス」を演技的な踊りに変身を遂げた。同時に、「タップ・ダンス」のサウンドと技巧性をさらに豊かにするため、踊り手の足首またはスネに多数の鈴をつけ、鈴の音と足踏みの音を同時に上げたりさげたりし、ハイレベルの踊り手は鈴の音をコントロールして足を踏む時に鳴るようにするテクニックさえ身につけていた。
『諧(シェ)踊り』
この民間の自分たちで楽しむ踊りは四川省と青海省のチベット族が集まって住んでいる地域で盛んにはやっており、チベット自治区にも伝えられている。
祭日になると、人々は一カ所に集まって、男女が輪を作って踊り、男女がそれぞれ一列に並んで向かい合って踊ることもある。一般に牛角胡弓を引く人が隊列の先端に立って、みんなをリードして踊り、胡弓の伴奏の音と歌声が呼応し合い、踊りの隊列が集まったり、広がったりし、長い竜がしっぽを振るように回って踊ったり、孔雀の姿を真似たりする。踊りには流れがあるようで叙情的である。
『卓(チョ)踊り』
「卓(チョ)」はチベット族の間では一般に「演技的な輪を作って披露する歌と踊り」を指している。
「熱巴卓(ラバチョ)」と「熱巴(ラバ)」はすべて「卓」の範疇に属するものである。
「熱巴」は昔、芸に頼って物乞いで生計をたてていた流浪の芸人が演じた雑技や歌と踊りなどの出し物を指し、それは民間の歌と踊り、「鈴・太鼓踊り」と特定のストーリーのある「雑技の披露」という三つの部分からなる。
「熱巴卓」は「熱巴」の中の「鈴・太鼓踊り」とさまざまな難度の高いテクニックを披露する踊りである。「熱巴卓」を披露する際、男性は銅製の鈴を手にし、女性は扁平な太鼓と馬蹄状のばちを手にし、まず丸をめぐって走る踊りで必要な踊りの場を切り開き、それから女性が集団で太鼓踊りを披露し、その中には太鼓のテクニックを披露する段落がたくさんある。その後、女性が太鼓をたたいて伴奏する中で、男性が個人的に技巧的な踊りを見せるものとなった。さらに観客の求めに応じて、異なった筋書と難度の高いテクニックの女性「太鼓踊り」を加えることもできる。この時の「太鼓踊り」はテンポが速く、激しく、最初に披露した女性の集団太鼓踊りと鮮やかなコントラストをなすものである。
『卓諧(チョシェ)踊り』
チベット族は昔から「太鼓」が人間に吉祥と喜びをもたらし、神様の祝福を求める際に欠かせない楽器であると見ていたため、いくつかの祭祀踊りと祭日踊りの中で太鼓をたたいて踊る演技が披露されることになっている。
チベットのロカ地域ではやっているだ円形の腰鼓(腰にかけて打つ小さな太鼓)を引っ掛けて、両手に馬蹄状のばちを持ち、太鼓をたたきながら踊る男性の太鼓踊りの『卓諧踊り』は、人々に極めて好まれ、長い歴史のある民間踊りの一つである。
『卓諧踊り』の踊りは従来からめでたいことや吉祥を祝ったり歌ったり、賓客を迎えたり見送ったりする儀礼の場で披露されるものであった。一般に、太鼓踊りの参加者数は偶数で、これは隊形の交錯に役立つからである。「卓諧」の踊りにその他の伴奏楽器がなく、多くは踊り手が膝部にひとつながりの鈴をつけ、跳びはねるにつれてちゃりんちゃりんという音がし、これによって音響の効果を強めている。
整った『卓諧踊り』大体三つの段落に分けて行われる。第一段落は純粋な踊りであり、リズムがスローからクイックまで、太鼓をたたいたり跳びはねたりし、隊形を交錯させ、情緒を表現し、途中いくつかの太鼓の技巧的な演技をはさむ。第二段落は歌を歌うことであり、前の太鼓踊りが終わった後、踊りの隊列は観客に目を向ける半円形になり、めでたい内容を表わす歌を歌う。第三段落は太鼓をたたきながら歌うことである。
『チャンム踊り』
『チャンム踊り』は宗教踊りの中の最も重要な寺院の祭祀的踊りである。この踊りの発生と伝承はチベット仏教の出現およびその発展と切り離すことのできない密接な関係がある。チベット仏教には異なった派閥があるので、『チャンム踊り』は踊りの形態、道具の利用、および踊り手の身なりなど多くの面でも異なった特色がある。
釈迦如来の生誕、チベット暦の新年およびチベット仏教の重要な宗教祭日になると、全国各地の大きなチベット仏教の寺院ではいずれも盛大な『チャンム踊り』が行われることになっている。
その時、寺院の屋根に高く掲げられているチャルメラ、トロンボーン、莽筒、太鼓、シンバルなどの響きのある楽曲の中で、もっぱら『チャンム踊り』を披露する年輩のラマ僧と若いラマ僧たちは頭にさまざまな神と獣の仮面をかぶり、法器または武器を手にして、神の地位の高低の順序に従って登場し、これによって各方面の神々がすでにこの世に姿を現わしたことを示す。人の心を揺さぶるような祭祀楽曲の伴奏の下で、彼らは手を振ったり足を挙げたりして回転して進み、隊列を作って寺院の演技場を巡って回るとともに、地に伏せた信者たちのお祈りを受け、これは『チャンム踊り』の序幕である。
それに続くのは一組一組の特別テーマの宗教的内容をもつ神祇踊り――例えば、神霊のまたとない威力を明らかに示す「法神踊り」、「凶神踊り」、「金剛神踊り」、地獄の小さな妖精たちが遊び、戯れ合うことを表わす「どくろ踊り」、人の世に吉祥をもたらす「鹿神踊り」、「寿老人踊り」、「ツル踊り」であり、このほか、また仏経の経典にある物語をテーマとした踊りも披露する。これらの内容と踊りの姿がことなる、精緻な仮面と服飾をつけた踊りの部分はちゃんとつながっているのである。この踊りの構成部分の多くはおごそかなものであるが、そのうちの「どくろ踊り」と「鹿神踊り」は活発で可愛い気のあるもので、舞踊性が最も強い。
雰囲気を活性化させ、観客たちを楽しませるため、次々と披露される出し物の合間にさらに僧侶たちのすもう、取っ組み合いなどの実演兼競技が加わる。
『チャンム踊り』の最後の部分は「魔除け」である。魔よけの儀式が終った後、各方面の神霊は大小さまざまな妖怪変化をスー油とツァンパ粉(はだか麦の粉)で作った鬼のかしらである「ドマ」の上に集め、それからそれを寺院の外の空き地に移して、柴を積み上げて焼き払う。
「チャイナネット」2005年6月10日