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田中眞紀子氏

衆議院議員 無所属(民主党会派)

1968年3月  早稲田大学 卒業

1993年7月  衆議院議員 新潟県旧3区より無所属で初当選

1994年6月  科学技術庁長官就任

1996年10月 衆議院議員 新潟県新5区より自由民主党で2回目当選

2000年6月  衆議院議員 同上 3回目当選

2001年4月  外務大臣就任

2003年11月 衆議院議員 同上より無所属で4回目当選

※ 1993年6月(株)新潟放送取締役就任

大臣就任中は取締役を辞していたが、2003年6月同社取締役に復帰し現在に至る。

※ 「中国残留邦人帰国促進」「教員免許特例法」等、議員立法を数本手がける。

一男二女の母

(著書) “時の過ぎゆくままに”

夫 参議院議員 田中 直紀

(趣味) 園芸、水泳

父 元.内閣総理大臣 田中 角榮  

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メッセージ

「政治家の覚悟」

「眞紀子には世界中を見せてあげよう。それがお父さんの夢だ。」一人っ子の私が物心ついた頃から、父はそう言い続けてきた。そしてその言葉通りに実行してくれた。しかし一九七二年九月の初訪中の時だけは違っていた。「今回だけは同行させるわけにはいかない。これは文字通り“一命を賭して”の大仕事になる。自分に万一の事が起これば、お前は田中家の跡取りとしてしっかり留守を守らなければならない。」そして更に「近い将来、日中両国民が笑顔で自由に往来できる新しい時代を拓く為に、重大な覚悟をもって出発する」とも述べた。ほぼ六日間にわたる中国滞在中の厳しい外交交渉に続いて、帰国直後は自民党両院議員総会で締結したばかりの日中共同声明に対する激しい弾劾演説が二時間半にわたって繰り広げられたという。しかし、夕刻遅くにようやく帰宅した父の表情は、誠に晴れ々としていた。

あれから三十三年が経過した。今後両国間に生じるであろういかなる困難も、愛と英智と相互信頼によって必ず乗り越えることが出来ると固く信じている。



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