私は昨年9月、日本の中国大使館で国慶節記念式典に出席しました。王毅大使が門の前で迎えてくださり、2000人余りの来賓と握手をしながら挨拶を交わし、話に興じました。最後のメッセージを読み上げられた王毅大使は、時折り興奮気味になり、時折り優しくなり、でも、マイクから伝わる声はか細いものでした。目は充血し、疲れきった様子で、私は涙が出そうになりました。大使は手術をしたばかりで、まだ完全には回復していなかったのです。
3年前、私は自民党幹事長や内閣官房長官を務められた野中務氏にお供して河北省の農村を訪れました。氏や氏の友人が寄付された希望小学校の落成式典に出席するためです。その日はことのほか寒く、寒風が骨身にしみるほどで、頬に傷みを感じる寒さでした。でも、80歳になられるご老体の野中氏は、最後までグランドで子どもたちと一緒に座り、式典に参加されました。その後、子どもたちと握手をし、一生懸命勉強するよう励まされました。別れ際、野中氏は再び激励の言葉をかけられました。「努力して勉強するように。また会いに来ますよ」。数百名を数える農村の児童の光輝く目に、援助の手を差し伸べられたこの老人を敬う彼らの気持ちが感じられました。
1人の若くて優秀な中国の外交官、そして年老いた著名な日本の政治家。二人はともに、心血を注いで黙々と中日友好の架け橋を築かれてきたのです。共同の繁栄と平和のために、世々代々の友好のために。
一衣帯水の近隣として、私たちは前人より溢れる気力と遠見卓識、超人的な知恵をもち、15億に近い人の両手でもって千年の友好の歴史を有する大橋を支えていかねばならず、それはできないことではないでしょう。 |