日本の小泉首相は靖国神社参拝を主張しつづけて、中国や第二次世界大戦で日本の侵略を受けた多くの国家から一致して反対されている。日本国内の世論は、賛成と反対に二分している。賛成の理由はさまざまだが、一致しているのは、戦犯は有罪判決を受けたが、被告は国家のために死んでいるのだから、尊敬に値する、という見方だ。このような見方の誤りは、国家と人民の区別を曖昧にし、両者を1つとみなしている点である。確かに、戦犯は国家のために死んだ。しかし彼らは日本の民衆に対し、重大な犯罪を犯したのだ。
国家と民衆は異なる範疇に属する。戦争を始めるのは国家であり、大部分の民衆には関わりが無い。さらには、軍隊も国家と同じとは見なせない。ごく少数の軍国主義者を除き、軍隊の大部分は強制的に徴兵された人々だった。彼らは、自らの意志で中国に来て殺人や放火に手を染めたわけではない。もし選択の自由があり、洗脳されていなければ、ほとんどが家にいて平安な生活を望んだのは間違いない。中国に来て人に被害を与え、さらに自らも傷つける理由があるだろうか?
しかし、天皇絶対主義の制度下では、彼らに選択の自由は無かった。さらに、軍国主義教育に多くの人が染まった。ひとたび戦場に行くと、自分の体も思うようにならず、命がけで目の前の道を進むしかなかった。人道主義の立場からしても、普通の兵隊は同情に値する被害者だ。彼らが敗戦国の兵隊だからといって、死ぬのは当然と見なすことはできない。
戦争で死亡した日本の民衆に至っては、戦争の直接の被害者だ。米国による2度の原爆投下で、20万人が死亡し、さらに約15万人が後遺症で死んだ。1945年3月に、米軍は日本本土の空襲を始め、東京だけで10万人近くが死んだ。サイパン島では、日本は米軍の進攻に抵抗できず、敗走を続け、最後は投降せざるを得なくなったが、日本兵は4千人の一般市民に崖から飛び降りて自殺するよう強要し、投降を許さなかった。沖縄でも同じような事件が起きている。このような民衆に同情しないでいられようか?
では、誰が日本の民衆の加害者なのか?中国人や、フィリピン人、ミャンマー人、韓国人ではもちろん決してない。米国人と言うならば、仮に日本が真珠湾を攻撃しなかったら、米国も宣戦布告しなかっただろう。唯一の罪人は、戦争を企て、戦犯と宣告された当時の日本政府の要人なのだ。したがって、戦犯が犯したのは、中国やフィリピン、ミャンマー、韓国などに対する罪だけではなく、日本の民衆に対する罪もある。もし、日本政府の指導者が、14人の戦犯を合祀した靖国神社にそれでも参拝するというのなら、日本の民衆に敵対し、さらに中国やフィリピン、ミャンマー、韓国人などに敵対する行為となる。靖国神社参拝の問題を解決する合理的な方法は、戦犯の碑を靖国神社から撤去することである。
「人民網日本語版」2005年8月8日