浙江省嘉興市、南湖の湖心に浮かぶ島にある。島に上がる岸辺の入口が、清暉堂。1826~1874年に皇帝が南部を巡幸するために建てられた。右側の壁に「煙雨楼」の3文字の石碑があり、南北に配された2つの家屋は、それぞれ「菱香水榭」、「孤雲移」と呼ばれている。南門を出て西に折れたところにあるのが、煙雨楼だ。「煙雨楼」3文字の横額は、政治家の董必武が自らしたためた。筆の運びに力強さが感じられる。楼に登ると、東南の岸に係留された中型の遊覧船が目に止まる。南湖で開催された中国共産党第1回党大会を記念するものである。
煙雨楼は940年前後の建立とされる。湖のほとりに立ち、杜牧の詩『煙雨』の2文字を取って名づけられた。その後、破壊と再建を繰り返し、宋代に一地方の絶景の地となる。明代末に再び焼け落ちた後、1584年に嘉興の知府(府知事)の趙瀛が、労役を徴集して城河と、南湖を埋めて湖心に島を造る工事を始めた、翌年、島の上に昔のままに煙雨楼が再建され、湖中の楼閣となった。
「チャイナネット」2005年8月