1985年

1月9日、国家体育運動委員会、中国教育部は「1984年における伝統的スポーツ種目展開の先進団体」という称号を105ヶ所の中等学校(高校を含む)、小学校に授与した。

1月19日、国家体育運動委員会は「全国諸競技エリアで評定する『精神文明賞』の審査基準についての要求」を下達した。

1月25日、国家体育運動委員会は「武術選手の技術レベル評定の試行基準」を公布した。

2月、「現代の中国」というシリーズの中の「現代中国のスポーツ事業」が出版された。これは新中国建国35年以来、スポーツ分野で収めた成果と経験をまとめたものであった。

3月4日から7日にかけて、「第一回全国スポーツニュース学術シンポジウム」が福建省の福州市で開催された。同会議の期間に、中国スポーツ報道学会が設立された。

3月15日、中国青年サッカーチームは第24回アジア青年サッカー選手権・1985年世界青年サッカー選手権アジア競技エリア予選試合で一位に輝き、世界青年サッカー選手権出場資格を獲得した。

3月20日、国家体育運動委員会武術研究院が創設された。

4月2日から11日にかけて、全国体育運動委員会の主任会議が北京で開催された。同会議は中国共産党中央が下達した「スポーツ活動をさらに押し広めることについての通達」をめぐり、スポーツ事業の改革についてつっこんで検討を行った。

4月25日、第4回「ワールドカップ」飛び込み選手権が上海で開催され、中国代表チームは金メダル6、銀メダル2、銅メダル1を獲得した。

6月3日、IOC中国籍委員の何振梁氏は東ベルリンで開催された第90回IOC代表大会でIOCの執行委員会の委員に選出された。同氏はIOC初の中国籍執行委員となった。

7月2日、国家体育運動委員会電子情報センターが創設された。

7月9日、国家体育運動委員会は卓球、バドミントン、陸上競技、重量挙げなどの4種目の42選手に「国際運動健将」という称号を授与した。この42選手は中国の第一陣の「国際運動健将」となった。

7月28日、国家体育運動委員会は「国家体育運動委員会体育科学技術進歩奨励条例」を下達した。

7月31日、第一回「コダック杯」(16歳以下)国際「ミニサッカー選手権」が北京、天津、上海、大連などの競技エリアで開催された。その期間に、鄧小平氏は「中国サッカーの競技レベルを引き上げるために、子供や少年のジュニアサッカーから着手すべきである」と指示した。

7月31日から8月5日にかけて、全国体育哲学・社会科学学術シンポジウムが福建省の永安市で開催された。寄せられた145篇の論文から90篇が選ばれた。学者たちは体育哲学、スポーツ経済学、スポーツ管理学、スポーツ社会学、スポーツ法学、体育倫理学、体育美学、体育比較学などの八つの面から理論の研究を行った。また、スポーツの発展モデル、人材の育成、スポーツトレーニングの改革、経済効果、スポーツ事業の管理・経営、経済特区のスポーツ事業の経営・管理などについて討議した。

8月21日から23日にかけて、「中国スポーツ事業の発展戦略研究会」の発足大会が青海省の西寧市で開催された。同研究会は64人の委員からなり、張彩珍氏が同研究会の会長となった。

9月7日、第二回全国労働者競技大会が北京で開催された。

9月9日、国家体育運動委員会、中国教育委員会、国家衛生部、中国青少年・児童体質研究グループが発表した「中国の青少年・児童の身体の形態、機能、資質についての研究」が国家クラスの「科学進歩賞」の二等賞に入賞した。

10月6日、第一回全国ジュニア競技大会が河南省の鄭州市で開催された。

10月7日、国家体育運動委員会は中国スポーツ発展戦略研究会を発足した。

10月15日、国家体育運動委員会は「全国スポーツ先進県の選抜基準細則(試行)」を下達した。

11月4日、国際スポーツ医学シンポジウムが北京で開催され、17ヵ国の264人の専門家が会議に出席した。

「チャイナネット」 2005年9月

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