新中国成立の初期、中国共産党中央の指導者は西蔵(チベット)に入る鉄道の建設を議事日程にのせた。
1950年代、中国共産党中央は拉薩(ラサ)までのレール敷設を決定した。1956年から、鉄道部第一探査測量設計院は蘭州からラサに至る2000㌔余りの敷設区間に対し探査・測量を全面的に行った。
1973年、党中央、国務院は重要な指示を何回も出し、工事の進捗を急ぐよう要求。
1984年、青蔵鉄道の西寧から格爾木(ゴルムド)に至る区間が運営を開始。
1994年7月、中国共産党中央、国務院は第3回チベットについての座談会を開き、「チベットに入る鉄道建設の前段階の準備作業に力を入れることをはっきりと打ち出した。
1995年、鉄道部は青蔵鉄道建設のフィージビリティー・スタディーを始めた。
1996年、第8期全国人民代表大会第4回会議で採択された『国民経済と社会発展の「第9次5カ年計画」及び2010年長期目標綱要』は次の世紀の最初の10年にチベットに入る鉄道の建設に関するフィージビリティー・スタディーを行うよう指示。
2000年11月、江沢民総書記は青蔵鉄道の建設について重要な指示を行った。12月、国家計画委員会(当時)は北京で青蔵鉄道フィージビリティー・スタディー報告会を開き、国務院に青蔵鉄道プロジェクト提案書を正式に提出した。
2001年2月8日、国務院総理事務処理会議が国家計画委員会(当時)の青蔵鉄道建設に関する報告を聴取し、青蔵鉄道建設案を検討し、立件申請の許可に同意。
2001年6月29日、青蔵鉄道の建設が着工。
「チャイナネット」資料