広く関心を集めていた「国学、10人の大家」の選考結果が発表された。甲骨文字などの研究で画期的な業績を挙げた王国維(1877-1927)が、群を抜いた支持を集め、「国学の第一人者」に選ばれた。
中国の「国学」は、古代文献を研究する学問。歴史学、考古学、文学、言語学などを含む。王国維は、1906年に代表作「宋元戯曲史」を発表し、甲骨文字の研究・解読に携わった最初の学者の1人となった。
辛亥革命後に日本へ亡命し、京都に住んで甲骨金石文の研究・解読を続けた。1916年に帰国。17年に「殷人辞中所見先公先王考」と「続考」を発表した。また「殷周制度論」は学界に大論争を巻き起こした。27年、清朝の前途に絶望し、入水した。
今回の選考は、国学ネット、中国人民大国学院などが主催した。ネット上で120万人が参加。選考過程では、昨年大ヒットした「超級女声」の投票方式を採用したため、議論も呼んだ。
4月に活動をはじめて以来、合計して120万以上の投票が集まった。得票数による上位10位は、王国維、銭鍾書、胡適、魯迅、梁啓超、蔡元培、章太炎、陳寅恪、郭沫若、馮友蘭。
今回の国学の大家の候補者は50人いたが、このうち康有為、王力、牟宗三などは、最後に落選した。
主催者によると、今回の国学の大家の入選基準は三つ。(1)1900年1月1日から99年12月31日の間に死去した学者(2)国学の基本をしっかりと見につけ、学術分野で重要な成果を挙げ、世代を越えて読まれる著作がある(3)思想における独特の価値観を持ち、中国文化の発展に重要な影響を与えた。
なぜ王国維が1位となったのか?ある専門家は「王国維は幅広く文献を渉猟し、その学識は中国から西洋まで幅広かった。30歳にして哲学者、30歳以降は傑出した文学評論家でかつ歴史学者となり、傑出した業績を挙げた」と分析する。
ところで、ネット上で選ばれた「国学の大家」に果たして権威はあるのか?選考が始まって以来、常にこの疑問符がついて回った。「これは面白い評論活動ですよ。活動に参加したのは国学に基本的な興味を持つ人たち。ネット上での結果は、確かに専門家が推薦する学者とは異なるかもしれない。でもそれは別に重要じゃない」と、主催者の1人で、ネット「百度網」の梁冬副総裁は説明する。文化多元化の時代に、大家を選ぶ権威が一部の学者の手に握られていてよいものか、と。
「人民網日本語版」 2006年6月24日