アメリカの旅行家ボール・セロー氏はかつて「崑崙山脈は乗り越えることのできない障壁だ。ラサに通じる鉄道もありえない」と予言したことがあるが、現在、青海省と西蔵(チベット)自治区を結ぶ青蔵鉄道の開通によって、この予言はすでに人々に忘れ去られることになった。

私たち記者団一行は、8月4日、青蔵鉄道の取材のため、青蔵鉄道のゴルムト駅で、ラサに向かうK917番汽車に乗った。改札の時、私の目は乗務員の制服、特にカラーの部分のデザインに引き付けられた。この乗務員の話によると、乗客たちにチベットの文化をPRするため、制服の色は、ラマ僧の僧服の色と同じの紅褐色のものにデザインされ、そしてカラーの部分は、タール寺の伝統的な刺繍「堆繍」が施されているのである。

約7時22分、汽車はゴルムト駅から出発し、南に向かって走り出した。乗務員も乗客たちにサービスを始めた。まず、標準語、チベット語、英語で自己紹介した。そして、乗客たちにお湯を注いであげた。山西省出身、今年30歳のこの乗務員は、かつて北京=西寧の汽車の乗務員であったが、年初に青蔵鉄道の列車乗務員に選ばれた。「青蔵鉄道の乗務員になるには、35歳以下、健康状態が良好などの条件がある。そして、正式に仕事につく前に、われわれは英語やチベット語の速成コースを1カ月間受けた。ところが、私はチベット語を話す自信はまだない。なぜならば、私が習ったチベット語は、アムド県の訛りのあるものでラサやダムション県の人々にとってはわかりにくいものだからです」とにこにこして私に語った。

時速100キロの汽車は、海抜3000メートルの標識を後にしたあと、汽車の天井部の設備から20%の酸素が混入された新鮮な空気が排出され始めた。

旅客たちも、自然に高山病について議論し始めた。みんなの不安を払拭するため、車掌の劉力軍さんは、汽車内での高山病予防の措置についてみんなに紹介した。寝台車8両、クッション入り座席の車両2両、一般席の車両4両、食堂車1両からなるこの汽車は、すべての車両に酸素供給設備が配備されており、車両の車窓も特製のもので高原の強烈な陽射しを遮断できる。

汽車は崑崙山脈に近づき、中国最大の無人地帯ココシリにさしかかった。「見てみて、チベットカモシカがいるわ!」ある女性記者の声に、すべての記者たちが車窓のそばにかけより、この絶滅危惧種の動物を自分のカメラに納めようと、先を争うようにシャッターを押した。ところが、最初に「チベットカモシカ」を発見した女性記者は、それが野生のロバに過ぎなかったことに気づき、みんなは一瞬がっかりした。

汽車の昼食サービスは10時45分から始まった。野菜料理2つと肉料理2つからなるレギュラーコースは20元で、夕食も同じである。朝食のレギュラーコースのメニューには、餡の入っていない饅頭やタマゴ、発酵豆腐などで、値段は10元である。

私はコックの一人で西寧市出身の王さんに話しかけた。王さんによると、この汽車のすべてのコックは、みんな10年以上のキャリアがある上、青海ホテルで訓練を受け、腕を磨いたことがあるという。「今日、18人からなる日本人観光団が昼食を予約しました。観光団の中で年配の方もいて、あっさりしてやわらかいものがすきなので、昼食の準備作業を普通より早めに始めなければならない。なぜならば、海抜が4000メートル以上になると、水の沸騰点がわずかセ氏80度となり、料理が出来上がる時間も長くなるからだ」と、彼は語った。

それでは、この日本人観光団の人たちに昼食についての評価はどうでしょうかと聞いてみたところ、観光団の前川さんという人は「おいしかったですよ。でもダイコン料理はちょっと辛すぎかしら」と言った。

汽車は4時ごろ、海抜5072メートルの青海省とチベット自治区の境にあるタングラ峠を通過した。一部の乗客たちは、みんながずっと心配していた高山病にかかったようで、吐き気、めまい、眠いなどの症状を訴えた。ゴルムト病院からの二人の医師が、症状がひどい二人の旅客たちに手当てをしてあげ、「高原胺」や「紅景天」などの高山病の治療薬を飲ませた。

症状が割合に軽い乗客たちは、酸素供給設備のボタンを押した。すると、さらに多くの酸素が車内に吹き込まれるようになった。

「そういう使い方は間違いですよ。」と、青蔵鉄道の車両の酸素供給設備のメーカー、大連利徳会社のエンジニアの馬さんは、旅客たちに注意した。彼によると、正しい使い方は、専用のパイプを使って、その一端を設備につなぎ、もう一端を直接に鼻に挿入することである。そうでないと、酸素が車内全体に流れ、効果が薄くなるというのだ。

チベットの地元の人々は、高山病の影響をすこしも受けていないようである。母と一緒に旅行を楽しんでいるチベット族の31歳のアンジャンドチェさんは、6歳の時に青海省の玉樹にあるお寺で出家して僧侶となり、そこで8年8ヶ月8日間の修行生活を送った。「私も母も汽車に乗るのは初めてのことです。チケットの料金も手頃ですし、車内の設備も快適です」と、彼は満足げに語った。

アンジャンさんとお母さんは、まず玉樹からバスで西寧に行き、そこでラサまでのチケットを手に入れた。チケットの料金は一人226元。

彼は「母がずっと自分の目でポタラ宮を見ようと夢を見ていたのです。今回、この夢がかなえることになるので非常にうれしい。ただ、残念なことがまだ一つあるのです。私の妹はまだ汽車を見たこともないのです。ぜひ彼女にも汽車の旅を体験させてあげたい。」と語った。

アンジャンさんのお母さんはよく座席から立ち上がって、チベット語で何かを繰返し呟いていた。彼女の言葉はチベット語がわかる旅客たちの間でよく笑いを引き起こした。アンジャンさんに聞いてみたが、彼女は絶えず同じ質問を繰返しているということだ。「まだ到着しないのか?」

アンジャンさんの後ろの席に座っている若いチベット族の女性のツォマさんは、彼女の周りに座っている漢族の旅客たちに、タル寺や黄教の創始者ツォンカパについての言い伝えを語ったり、中国の著名な作曲家王洛賓氏作曲の歌「遥かなるところで」を歌ったり、その歌の中の恋いの物語を語ったり、唐代の文成皇女とチベットの当時の王松賛幹布(スォンツアンカンプ)の成婚及びそれをきっかけとする文化の交流について語ったりして、熱心にチベットの文化をPRしていた。

ダムション県を通過したとき、空が曇り始め、霧も立ち始め、山々の輪郭が朦朧となった。そして、雨が降り始めた。

夜10時22分、汽車が海抜の最も高い温泉地である羊八井を後にして、とうとう終着駅ラサに到着した。

私がラサ駅に踏み出した一瞬、脳裏には、フランスの探検家のアレクサンドラ・ダヴィ・ニール氏の言葉が浮かんできた。「将来のある日、きっと鉄道がアジア大陸を貫き、ゴージャスな車両で旅客たちをここまで運んでくるにちがいない」。いまや、この夢はすでに現実となった。

「チャイナネット」2006年9月

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