紀暁嵐、林則徐、龔自珍、李鴻章、曽国藩……とこれらの中国史上に有名な風雲人物は不思議にかつて同じ地区で生活していたと発見された。この独特の文化古韻があふれている地相のよい土地は北京市宣南地区――今日の宣武区の中心あたりである。昨日(3月7日)、第九期全国人民大会第五回会議の北京団第二回会議において、民盟(民主同盟会)中央副主席、北京市第11期人民代表大会常務員会副主任の王維城代表は、宣武区の深い文化実情を活かして北京歴史文化ベルト、「宣南」文物精華ネット、琉璃廠・大柵欄古都文化商業区を立て上げ、第29期北京オリンピックを東洋文化の独特の魅力に満ち溢れるべきだ、と提案した。
天寧寺は北京では最も古い廟宇の一つで、史上にあった古い薊城、遼(947〜1125)の南京、金(1115〜1234)の中都などはいずれもその近くに立てられていた。王維城氏は、ここで北京城史記念館を立て、そして天寧寺から薊城記念柱までさらにまっすぐに南へ行けば陶然亭公園までの間に彫塑と石碑を設置し、「宣南」文化を記す北京市歴史文化ベルトにすべきである、と提議した。
王維城氏はまたつぎのように解説した。清の王朝は「満漢(満州族と漢族)分居、旗(満州八旗)民分制」という製作をおこなっていたので、漢族の人士たちはほとんど「宣南」地区に住んでいた。経学大師の顧亭林(顧炎武という名もあり、1613〜1682)は報国寺に住み、大学者の紀暁嵐は虎坊橋に住んでいた。曽国藩(1811〜1872)、李鴻章(1823〜1901)はここの湖広会館と安徽会館で「洋務運動(19世紀後半に清朝政府が推進した近代化政策)」をおこしたのだ。龔自珍(1792〜1841)、林則徐(1785〜1850)、魏源(1794〜1857)が黄爵滋(1793〜1853)のアヘン禁止の上奏を支持すること、康有為(1858〜1927)、梁啓超(1873〜1929)、譚嗣同(1865〜1898)が発動した「戊戌(ぼじゅつ)の変法」もいずれもこの「宣南」で行われたことである。こんな有名人物が一ヵ所に集まることは中国史上ではなかったことだ。ということで王維城代表は幸いにして保存された数十ヵ所の古い会館、名人旧居、廟宇を修築し、「宣南」の文物精華ネットを建造しようと提案した。
「チャイナネット」2002年3月18日