元宵のご馳走
伝統的風習によると、元宵節には家ごとに「元宵」と呼ばれる食べものを食べる。「元宵」はもち米の粉で皮をつくり、中に砂糖のあんを入れ、円型に包んだもので、一家が団らんして、平和、幸福にすごす意味をあらわしている。この種の「元宵」をまた「浮団子」「湯圓」とも呼ぶ。

元宵節に元宵を食べるのに関して、民間では次のような物語が言い伝えられている。

漢の武帝の時に、ある日大雪が降った。東方朔が御園にいって、武帝のために梅の枝を折っていると、元宵という名の宮女が井戸に身を投げようとしていたので、それを助けた。もともと正月や祭日になると、元宵は親兄弟を思って心が刀で刺されるように辛く、いっそのこと死んでしまおうと決心したのだった。彼女に同情した東方朔は、家族と会わせる一つの良い方法を思いついた。それで元宵に緋色の服を着せ、長安の大通りにいかせて玉帝の聖旨といつわって、こういわせた。「わらわは火の神なるぞ。聖旨を奉じて長安に火を放ちにまいった。玉帝は南天門の上に立たれて天上からこれを見物される」。人々はそれを信じて、慌てて助けを求めた。彼女は「このたびの災いを避けたいと望むならば、この赤い書状を天子に渡し、対策を講じさせよ」といって、赤い書状を手渡すと悠々と立ち去っていった。

人々はこの赤い書状を皇帝のところへ持っていった。漢の武帝が開いてみると、それにはこう書いてあった。

長安在刧  長安は刧にあい

火焚帝闕  火は宮城を焼き払う

十六天火  十六の天火は

焔紅宵夜  炎で宵夜を赤く染めん

武帝は驚いて、東方朔にどうしたらよいだろうかとたずねた。東方朔は慌てず騒がずにこう答えた。「伝え聞くところによると、火の神は『湯圓』が大好物だそうです。女官の元宵は『湯圓』をつくるのが上手で美味しいことを、火の神も知っています。十五日の夜に彼女に『湯圓』をつくらせ、陛下は香を焚いてそれを供えたらよいでしょう。それから京都の住民たちにも軒並みに『湯圓』をつくらせ、火の神に捧げたならば、火の神も心を動かすでしょう。そして京都の臣民がいっせいに灯篭を作り、十六日の夜大通りから路地、家ごとに火を点して飾り、花火をあげ、爆竹を鳴らせば、まるで城じゅうに火の手があがったようで、南天門で見物している玉帝の目をごまかすことができましょう」

武帝はすぐに東方朔の言葉通りにするように、聖旨をくだした。正月の十六日、日が西山に沈むと、長安の城内では灯篭を飾り、アーチを建て、灯火はひと晩じゅうあかあかと輝き、花火がいっせいにうちあげられた。元宵の妹も両親といっしょに灯篭見物にやってきた。そして「元宵」という名のついた大きな宮灯を目にした時、大喜びで「元宵姉さん! 元宵姉さん!」と叫んだ。その声を耳にした元宵は、両親のまえにかけ寄り、一家は一堂に会して、心のたけをうちあけあった。それからというもの、毎年元宵はこの機会に一家と顔をあわせることができるようになった。十五日に供える「湯圓」は宮女の元宵のつくったのがいちばん美味しいので、人々はまたの名を「元宵」と呼ぶようになった。

各地で作る種々の「元宵」は、それぞれ味を異にするが、一家団らんの象徴であることは何処も同じで、多くの人々から愛されている。宋の詩人姜白石はかつて「貴客のれんをめくって御街を望めば、市中の珍品いちどきに来たる」と詠じている。詩の中で、「元宵」を「珍品」と称しているが、当時、元宵の値段はそうとう高かったことがうかがえる。現在の元宵にはいろいろなあんがあり、砂糖、桂花、さんざし、なつめ、いろいろな木の実、黒ごま、青梅、小豆あん、ココアなどを中味にしており、そのうえ、値段も手頃で、元宵の夜に元宵を煮て食べる風習は祭日に少なからぬ楽しみをそえている。

 
 

 

 

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