登高、賞菊
重陽節の風習は、主に登高、茱萸を挿す、菊花酒を飲む、菊を賞でるなどである。

唐の時代に、重陽節に高い所に登り、菊を賞で、茱萸を挿す風習は、ひじょうに普遍的であった。友人たちが集まって歓談し、飲酒して詩を詠じるのはすでにしきたりとなっていて、皇帝も自らこの祭日の行事に参加した。唐の中宗の李顕は、先に立って高い所に登り、酒を飲み、客を宴して詩をつくった。詩聖と称される杜甫は、病をおしても高い所に登った。唐の詩人孟浩然、王維なども重陽の美しい趣のある詩を残している。

茱萸を挿すことについては、周処の『風土記』にこう記されてある。「九月九日に茱萸を髪に挿し、悪気を避け、初寒をはばむ」。茱萸は常緑の落葉小高木で、春の末から初夏にかけて白い花を咲かせ、秋に実がなる。この実は漢方薬に加工したり、または茱萸酒をつくると、脾と胃をあたため、痛みを止め、気滞を治す効果がある。茱萸の葉はコレラを治し、根は殺虫の役にたつ。たとえば茱萸を身体につけていると、蚊に刺されないという。

重陽節の賞菊も、楽しい行事である。菊はまたの名を黄花という。品種は非常に多く、それぞれ独特の美をきそいあい、すがすがしい香りを放ち、寒さや霜も恐れず、花が散っても枝はしおれない。重陽に菊を賞でるのは昔からの風習で、孟元老の『東京夢華録』にも、北宋の開封で、「九月重陽、都の下で菊を賞でる」盛況が記載されている。清の時代には、所によっては重陽の前後に賞菊会をもよおした。一般に三年、五年、または十年ごとに行い、六十(甲子)年の賞菊会はもっと空前の盛況を呈し、伝えによると一生のうちに、二回甲子の賞菊会に出会えた者は福があるという。「万菊は艶を競い、菊竜は飛ばんと欲す」という賞菊会では、詩人が菊を詠じ、画家が菊を描き、とてもにぎやかだった。いまでも賞菊会の行事は、地方によって残されている。観賞に供する菊は、主に翆菊、藍菊、ひな菊、万寿菊などで、この他に飲み物に使う菊の花や薬用の菊の花がある。

菊花酒を飲むのも、古人が重陽節をすごす風習の一つで、呉自牧の『夢梁録』によると、「今世の人、菊花、茱萸を酒に浮かべて飲む」とある。医学の角度から見ると、菊の花をひたした酒は、目によく、めまいを治し、血圧を下げるのに効き目がある。

陰暦の九月九日は、ちょうど仲秋の時なので、天は高く澄んで、気候もさわやかである。菊の花は満開で、楓は色づき、ピクニックに最適の季節である。重陽節の時期には、人々はこのよい気候を利用して郊外に出かけたり、山に登ったり、船をこいだり、菊や木犀の花を賞でたりする。重陽はまさに大衆的なレクリエーションに適した節句といえよう。

 
 

 

 

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