臘八粥
わが国の僧侶が臘八粥を食べるようになったのは、宋の時代にはじまり、一千余年の歴史があり、『天中記』にこう記されてある。「宋の時代の東京の諸大寺では、十二月八日に七宝五味粥を送り、臘八粥と称す。朝廷、官府、寺院はみな大量の臘八粥をつくったばかりでなく、民間も争ってこれに習い、広く伝わった」。清の時代になると、臘八粥を食べる風習はより盛んになり、宮廷では皇帝、皇后、皇太子などが、みな文武大臣たちや侍従、宮女などに臘八粥を賜り、各大寺に米、果物などを布施して、僧侶の食に供した。寺廟の僧侶も盛大な読経法要を行って、釈迦成道を記念した。民間では、臘八の日に臘八粥をつくり、豊作を祝った。

清代の富察敦崇の『燕京歳時記』には、この臘八粥にかんする詳細な記述がある。「臘八粥とは、きび、白米、もち米、粟、ひしの実、栗、小豆、皮をむいたナツメなどを用い、水を入れて煮る。この他に紅染めの桃の種子、杏仁、スイカの種子、落花生、はしばみの実、松の実、及び白砂糖、赤砂糖、乾しぶどうなどを用いて色をつける」。「毎年臘七日になると、果皮をむき、器物を洗いすすぎ、終夜仕度をする。夜明けになると粥が煮えあがる。これを祖先に祀り、仏に供える他に、親類友人にもわかち贈る。贈るのには昼をすぎてはならない」。品種は「多くを以って佳とし」「巧みをこらし、奇を争い、これを古人に比べるならば、過ぎるにも及ばざるはなし」で、これから推しても、清の時代の民間の臘八説の様相がうかがえる。この風習は今日まで伝わってきているが、すでに迷信の色彩はとり除かれ、人々はただ祭日の風習として臘八粥を食べるにすぎない。

北京一帯の住民は、臘八節の前後に「臘八大蒜」をよく漬ける。きれいに洗ったニンニクの房を、密閉した酢の瓶の中に漬け、春節になって瓶をあけて食べる。酢の中にニンニクの味がうつり、ニンニクは酢っぱい香りを放ち、独特な味がして、水ギョーザを食べる時の香の物になる。

 
 

 

 

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