中国中部湖北省にある恩施トゥチャ族、ミャオ族自治州は少数民族の自治地域で、州の中心地恩施から車ででこぼこの山道を2時間走りますと、咸豊県に着くのだ。
ここ咸豊県には未だに少数民族の族長である土司のお城などの文化遺跡が数百年の月日を経てきたものの、かなり良い状態で保存されており、その上街道やその塀の後などはまだはっきり残っている。
恩施は元々、トゥチャ族とミャオ族がせせ代々居住する地区で、恩施市の管轄内にある咸豊県にはトゥチャ族の住民が多く住んでいる。
歴史の資料によると、咸豊県は今から500年前の時代の中国西部での重要な政治、経済、文化の中心で、敷地面積80ヘクタールもの土司のお城は当時、西部での建築物の最高レベルに達していたそうだ。
これについて、地元観光部門の劉さんは「このお城は現在、中国の土司のお城の中でも保存度が最も良い遺跡の一つで、今から800年前の元の時代に立てられたものです。このお城の中には当時の官庁や監獄、軍隊の兵営、それに学校から武術館、銀行、それに死刑執行場までも揃っていた。現在、街道の塀の後がかなり良い状態で保存されており、ここ数年来、イギリス、フランス、アメリカ、オーストラリアなど多くの外国の観光客や学者がここに来ています」と説明してくれた。
劉さんは更に、「昔の土司制度は世襲制であり、大きな村や部落の土司は皇帝の命令に従がい、遠征に加わったが、これら土司は年貢を納めることのほか、地元を治めるすべての権利を牛耳り、その権力はとても大きいものでした」と話してくれた。
この土司のお城は山を後ろに川の堤防に沿って建てられたもので、石の壁に囲まれた庭には石のアーチがあり、このアーチには四つの石柱がついた門があり、三重の軒先には、天を仰いだ様々な野獣の頭が乗り、これは伝説ではお城の入り口だったそうだ。
そして正面玄関の上には、「荊南雄鎮」という4つの大きな文字が刻まれており、その上と下には土司が外地を視察している絵が彫られている。
又石のアーチの門はこのお城の遺跡の真中にあり、高さは7メートル余り、幅7メートルで太い石柱で支えられている。更に正面玄関の上に刻まれた「荊南雄鎮」という4つの文字は今から、600年余り前の明の時代の皇帝が書いたものだ。このことから、当時の土司のお城の地理的位置が重要であったことが分かる。しかし、明の時代に立てられたお城は今は遺跡だけとなり、ただ石のアーチ門だけが昔の輝きを残している。
次に山の麓に流れている河清江のほとりに立てられた張飛廟をご紹介しよう。
ご存知のように、張飛は三国時代の蜀の国の勇猛な大将のことだが、この張飛廟の由来について劉さんは、「古代、ここでブタコレラが発生し、地元のブタが全部死んでしまい、住民たちは大きな損失を蒙ったのだ。住民たちはその後、山の石が丸々と太ったブタに見え、また、これらのブタが近くを流れる清江という川に飛び込もうとしているように見えたので、このブタたちを助けようと、何と三国時代の蜀の武将である張飛は元は、家畜を専門に殺す屠殺業者だったことを思い出し、この石のブタたちが川に近づかないようにするため、清江のほとりにこの張飛を祀った廟を立てたのです」と話してくれた。
不思議なことに、当時この張飛廟が出来上がりますと、何とこの地区のブタコレラもなくなってしまい、しかも、その後ここで飼育されたブタの肉はとても美味しく、ベーコンやハムの良い材料となり、ここの豚肉は有名になったとのことだ。
しかし、今の張飛廟は昔の姿をなくし、その正門に入ったところにある石で作った小さい庭には四角い木で作った東屋が残っていて、この東屋の傍に二対の石で作った下男と馬があるが、張飛廟には今は張飛の像はなく、石で出来た台しか残っていない。
中国リポート、今日は湖北省恩施のトゥチャ族、ミャオ族自治州にある土司、つまり少数民族の族長のお城と張飛廟をご紹介しよう。
2001年4月19日