綿山は山西省介休市に位置し、山、川、文化財古跡、仏寺、道教寺院、革命、戦争時代の遺址を一体化した歴史文化の名山であり、山西省の六つの景勝地の一つでもある。春秋時代に晋国の介子推という人が母親とともにここで隠遁の生活を送り、晋文公が人に放火させたため、焼け死んだということにちなんで、綿山はまた介山とも呼ばれている。平遥古城や霊石の王という姓の邸宅の庭園も近くにある。
綿山は独特な雰囲気のある避暑地であり、「大自然に回帰する清涼の地」とたたえられている。温帯大陸性気候で、6、7月の最高気温は平均24度である。
綿山には抱腹岩、蜂房泉、李姑岩、楞厳会を主とする大小さまざまな洞が百カ所ある。抱腹岩は二百間の建物と一、二万人を容納することができる大きな洞窟である。明朝末期、清朝初期の学者傳山はこの地の景観はこの世にひとつしかないものだとたたえ、長い文章を書いた。「これまで目にした名山はたくさんあるが、この地の岩石のように空までとどくようなものは目にしたことがない。岩石の上にはこけがはりついており、大きな岩を覆い尽くしている。その荘厳さはまるで僧衣を身につけた仏像のようである。」
綿山の中・上部には崖の地勢の沿って造られた桟道がたくさんある。中部だけでも天橋、兔橋、鹿橋、舎身岩などがある。天橋は「一斗泉」景勝区と「朱家凹」景勝区の間にあり、長さが三百bもあり、その高さは測ることができない。雲の多い日には、幅約一bの天橋の端で散歩すると、雲が足元に漂ってきて、まるで雲の上を行く仙人のような感じである。
綿山には絶壁が林立し、奇異な形の石が高く聳え立っている。大きな鷹が低空を飛び回っている。かなりの樹齢の木が高く聳え立ち、香ばしい草が生い茂っており、鳥の鳴き声、川の水が流れる音を耳にすることができる。人びとに中国北方の山の壮大さを感じさせる同時に、長江以南の名山に身を置いた感じも覚えさせるものがある。
綿山には寺廟が20以上もある。本殿は2千間以上もあるスケールである。大羅宮は面積だけでも3万平方bに達し、国内でも珍しい道教の建築物である。天まで届く建築物やあずまやがたくさんあるのも綿山の特徴と言われる。石の階段が多いこともいま一つの特徴である。山全体には一万以上の階段がある。
古代建築物や石碑、カラフル塑像もたくさんある。雲峰寺石仏殿のすべてのとがたとその他の用材はいずれも席を彫ったもので、文化財としての価値はかなり高い。雲峰寺や大羅宮では唐、宋、元、明の時代の彫刻と塑像がたくさんあり、よく保存されている。迫真感があり、生き生きとしている。逸品言っても過言ではない。
綿山の鉄瓦寺は今から千八百年前の後漢の建安年間に建てられたもので、中国ではもっとも早い時期に完成された山間部寺である。抱腹寺は三国時代の曹魏の時期の築造で、鸞公岩鉄寺は北魏の頃に建てられた。回鑾寺は唐代以前に建てられたもので、唐の太宗皇帝李世民が 綿山に参拝した時、雨にさらされ、かごに戻ったことがあるから、この名が付けられた。五竜寺は北宋以前の建立である。ほかの寺廟の多くは清代以前に建てられたものである。
1995年以後、民営企業の山西三佳石炭化学有限公司が巨額の資金を投下して、綿山の開発をすすめた。5年間を経て、5億元を費やして、ここに全面的にオープンされることになった。交通、通信、宿泊、食事、レジャーなどの施設がそろっており、大型の会議の受け入れ能力もある。西暦2000年から今日に至るまで、山西省域内の観光のホットスポットとなっている。2001年のメーデーには15万8千人もの観光客を受け入れ、山西省域内の観光区のトップとなっている。
「チャイナネット」2001年8月22日