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吉林省集安市の好太王碑
第二回東北辺境地域の歴史と現状および高句麗シンポジウムがこのほど中国社会科学院中国辺境歴史・地理研究センターと吉林省社会科学院の共催で開かれた。 

高句麗は中国東北地方の古代の少数民族の一つで、当初は渾江流域と鴨緑江中流の遼寧省の桓仁地区と吉林省吉安市を中心としていた。高句麗政権は歴史上705年間存在した。668年に唐と新羅の合同の攻撃によって滅びた。上述の地区ではいまでも豊かな文化遺跡が残されている。その中に主に都(みやこ)の遺跡、墓、壁画、石碑に刻まれた文字などがある。

好太王碑:清の末期に発見され、今の集安市の東から4キロ離れたところにあり、南西は好太王陵から200メートル離れたところに位置する。この碑は角礫岩でつくられた不規則な四角形の柱で、高さは6.39メートル。碑の底部は花崗岩の石を土台とし、長さは3.35メートル、幅は2.7メートルで、不規則な長方形をなしている。碑の上に刻まれた文字は南東側から四方に回るように刻され、計22列1775字あり、隷書で書かれ、字は古めかしく素朴で、整然としている。文の第一の部分は高句麗の創業にまつわる伝説および最初の3人の王の王位継承関係の事柄が記され、第二の部分は文の主な内容で好太王の生涯の業績を記し、第三の部分は墓を見守る人に対する規定である。この碑の文は高句麗の歴史の研究にとって、非常に貴重な文字資料であり、発見以後内外の学界に重視されている。

「チャイナネット」2002年9月25日

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