昨年12月にローザンヌで開かれたIOC理事会で、中国の代表は五輪招致のスピーチを行った。その後、中国に一度も行ったことのない人を含めて世界中の人々が北京の変貌ぶりを感じ取るようになった。
8年前の今日という時点では、われわれはあえて五輪大会主催の能力があると言えたかもしれないが、8年後の今日という時点では必ず首尾よく主催できると自信満々に言うことができる。
――世紀の変り目に北京が手にしているのは美しく見えるバブルではなく、数多くの有利な条件なのである。これらの有利な条件によって、われわれはその他の候補都市の前を走っているといえるのである。
美酒のような歴史的文化
中国は5000年の歴史をもつ東方の古い文明国である。この文明国の象徴である北京は、ここ数年の現代的改造を経て、古いものと現代のものとを上手に結び付けた歴史的文化都市となった。
厚味のある文化的内容を持つ国において、同じく悠久な歴史をもつオリンピックの聖火をともしたことがないというのは悲しむべきことであるだけでなく、歴史的文明を踏みにじることでもある。そのため、われわれは. IOCの委員たちがこのことを無視するわけにはいかないと信じている。なんといっても古くて神秘にみちた歴史的文化に彼らは美酒のように魅了されている。
支点となった経済発展
持続的、急速な経済の発展によって、われわれは支点を持つようになった。この支点によって、われわれは五輪を首尾よく主催する自信を持つようになっている。
欧米の候補都市の経済発展のスピードが牛車のごとくと言うなら、中国の経済は勢いよく疾駆しているウマのようである。昨年、中国の国民総生産(GNP)は1兆ドルに達したが、その他の候補都市のそれはわずか3000億ドル以下である。この大きな格差が示しているように、急速に成長をとげる一発展途上国の総合的な国力はその他の候補都市にとっては比べることのできないものである。
これらの経済の発展の指標を、IOCの委員たちは無視するわけにはいかいない。これは五輪を首尾よく主催する最大の元手である。
もはやなくなった政治の暗さ
国際的地位の向上と政治的環境の変化によって、北京はノンストップの勢いで五輪誘致の道をつっ走っている。
スポーツは純潔なものであるが、それに政治的目的をつけ加えようとする強権がときどき現れる。8年前の五輪誘致において、欧米諸国は人権、チベット、香港などの問題をもって北京の五輪誘致阻止に力を入れた。われわれはうわべでは妨害を取り除いたが、最終的にはこの黒い影を阻むことができなかった。当時、中国の強みはシドニーと比べても大きいものであったが、結局は政治の介入の恐ろしさを感じ取ることになった。
世の中は変わるものである。中国の奮起によって、欧米、アジア、アフリカが軽視しないようになり、賢明なIOCの委員たちは公正さをもって再度中国に対処すべきだろう。
安全感と親和力
北京は世界で最も安全感のある都市の一つである。
北京は世界の主要国の首都の中で刑事犯罪率、交通死亡率、火災発生率が最も低い都市で、最も安全な都市である。市民は平和を愛し、世事に超然として争うことなく、その結果、この都市はよりいっそう親和力を持つようになっている。
そのほかに、北京は完備した安全施設と十分な警備スタッフを備えており、選手の安全を守り、秩序を維持する能力を持っている。アトランタ五輪の悲劇が北京で演じられることはない。1990年のアジア競技大会はいまでも記憶に新しい。
スポーツ強国と人口大国
スポーツ大国という名誉と地位はわれわれの強みを強化することになった。
われわれが参加した五回の五輪大会のうち、四回の大会で金メダル総獲得数で5位の優れた成績をあげ、昨年9月のシドニー五輪で金メダル総獲得数3位を記録した。これまでに、中国の選手は1206の世界チャンピオンを獲得し、962の世界記録を破り、五輪金メダル52コを獲得した。われわれはアメリカ、ロシアに次ぐスポーツ大国の「第二グループの先頭」を定める存在となった。われわれは「東アジアの病人」というレッテルをはがし、アジアひいては第三世界のスポーツの分野での優れた代表となった。
オリンピック大会は純潔で、グローバルなスポーツ競技の大会である。世界の人口の4分の1を擁する中国が五輪主催国からはずされるならば、いかにして「グローバル」ということを具現するのか。
団結の力
「人の和」は北京の五輪誘致の大きな推進力である。
中国政府は一貫して全民健身活動を大いに提唱し、それを普及させている。これまでに10組のラジオ体操を打ち出した。それと同時に、われわれは多くの資金をスポーツ事業に投入している。1997年〜1998年に7000万元を投じて、1000の大衆的アスレチック施設と場所を建設し、1999年〜2000年に3000万元を投じてこれらのスポーツ施設をさらに発展させ、充実させた。今回の五輪誘致のために、中国政府は力を入れてPRに取り組み、建設をおこない、五輪誘致のためのホームページを開設し、各国との交流を強化し、世界に中国を知ってもらうように努めている。
国民全体はかつてない関心と支持を示し、五輪誘致の意欲が高まっている。映画監督の張芸謀さん、卓球選手のケ亜萍さんら各界の知名人も北京の五輪誘致のためのPRに努めている。
人びとの要望と政府の足並みはこのようによく噛み合っており、他の候補都市と比べて、北京はさらに先頭を行くようになっている。
大きな商業的価値
オリンピック大会が次第に商業化されているため、IOCは主催国の商業的価値を考慮しなければならなくなっている。
1984年のロサンゼルス五輪以降、オリンピック大会は「金もうけのマシン」となった。貧しさが怖くなったのか、五輪主催の商業的潜在力がIOC主催国選択の重要な指標の一つとなっている。なんといっても以前のように、五輪大会を主催したがる国がなかったという情況は気まずく、恥ずかしいものであった。
中国は10数億の人口を擁し、数えきれないほどのスポーツを愛好している国民を擁している。疑いもなくこれはIOCの眼中では強みのあるものであろう。
粘り強い進取の精神
93年の五輪誘致の失敗によって、われわれは五輪誘致の経験を積み重ね、各国からの同情も寄せられ、多くのキメ細かい仕事をしなければならないことがわかるようになった。五輪のプロセス、各国との交流、自らのインフラ建設、PRなどの面で貴い経験を積み重ね、問題があったらただちに直し、完ぺきなものをめざすことができる。
われわれの粘り強い進取の精神は尊重を勝ち取り、前回の失敗によって各国から同情が寄せられている。
切り札:「緑の五輪」
インフラ、交通、環境が改善されているため、北京はさらに競争力を持つようになり、「緑の五輪」が北京の五輪誘致の切り札となった。
北京の文化施設、医療施設、ホテルの規模はかなりのもので、市内の300余の渉外ホテルは年間延べ1億人が宿泊できる。現在、北京にはグラウンドが4000余ヵ所、体育館が371ヵ所ある。一部はアジア競技大会以後残されたもので、まだ使えるか、改築すれば使えるものもあり、グラウンド・体育館の新規建設は北京にとって難しい問題ではない。
よく非難されている交通問題も次第に解決されている。五輪誘致をおこなってから、北京市政府は第二、三環状道路を改造した。平安大街(大通り)、南第四環状道路、西北第四環状道路、菜市口大街(大通り)、閙市口大街(大通り)の開通、八達嶺高速道路、地下鉄「復八線」(復興門=八王墳)を開通させ、2000年から、市の中心部と北部住宅区と繋ぐ快速軌道交通プロジェクトに着工した。北京は20世紀末には総合的交通システムが形成されるに至った。
環境問題は依然としてわれわれを悩ましている問題である。政府が解決に力を入れているため、近い将来、それは悩みとなる問題でなくなるだろう。「緑の五輪」というキャッチフレーズは新鮮なものであるが、北京の緑化は著しい成果をあげている。2000年に北京は緑化面積を767ヘクタール増やし、120万本の木を植え、100平方メートルの芝生を植え、市街区の緑化カバー率は36%に達し、一人あたりの公共緑地は9平方メートルに達した。現在、砂あらしの問題も基本的に解決された。
また、北京は環境汚染対策に大いに力を入れ、交通施設に1480億元を投入した。汚染のひどい工場は閉鎖するか、あるいは移転させることになっている。家庭用暖房の燃料もこれまでの石炭から天然ガスに切り換えられた。北京は市の北部に1215ヘクタールのオリンピック公園を建設することを計画している。
「チャイナネット」2001年1月11日