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中国における麻薬取締
中国は歴史上かつて麻薬の害毒を深く受けたことがある。長年来、中国人民は麻薬と不とう不屈の闘争をすすめ、世界の注目を集める輝かしい成果をあげた。

    中国にかつて「麻薬無き国」というほまれがあった

 150年余り前、帝国主義列強はアヘンと大砲で中国の門をこじあけた。その時から中国が半植民地・半封建社会に転落し、「中原に敵に抵抗できる軍隊がなく、しかも給料として支払える金もなく」、中国人民が「東亜の病人」という恥辱を蒙った。当時、イギリスは世界最大の植民地主義者であり、最大のアヘン商人でもあった。1840年以前、イギリス政府が毎年中国にアヘンをダンピングして徴収した税金はその年の歳入の10分の1に相当する330万ポンドに達した。利欲に目のくらんだ帝国主義の植民地主義者はあらゆる手段をとり、やっきになって中国にアヘンをダンピングし、密輸から公然たる武力販売に発展するとともに、2回もアヘン戦争(つまりイギリスが1840年から1842年にかけて中国に対し起こした第1回アヘン戦争とイギリス、フランスが1856年から1860年にかけて、ロシアとアメリカの支持のもとで共同で中国に対し起こした第2回アヘン戦争)を起こした。1900年、イギリス、アメリカ、ドイツ、フランス、ロシア、日本、イタリア、オーストリアという八つの帝国主義国によって編成された8カ国連合軍は中国に侵入し、依然としてアヘンを中国人民を麻酔させる精神的武器として、盛んにうりまくった。帝国主義列強は、中国人民の膏血を絞り取ったばかりでなく、遼東半島、膠東半島と長江流域など広大な面積の租借地を手に入れた。香港はとりもなおさず、イギリスが2回のアヘン戦争を起こしたあと腐敗無能な清朝政府に割譲させたものである。今世紀の3、40年代、日本帝国主義は地を侵略、占領し、「アヘン専売」を強引に推し進め、栽培奨励、武力運送、アヘン吸飲店開設から各段階における吸飲・販売税および名目雑多な特別費の徴収に至る手段を通じて、戦争経費も調達すれば、これによって中国人民の反抗の意志を消沈させようとした。幾千幾万ものアヘン中毒患者は一家離散し、落ちつくところもなかった。

 アヘンの害毒が日ごとにひどくなっていることに直面して、多くの仁人志士は「中国の有用な金で海外の底なしの溝を埋め、人を害するものと取り替えることは、国を病にかからせるのではないのかとだんだん心配になってくる」と大声で疾呼し、アヘンという禍根を断ち切ることを強く要求した。広範な民衆はこれを非常に憎み、反抗に立ち上がり、中国の麻薬取締史上感激と涙を誘う多くの英雄的な壮挙に出た。1839年、清朝政府の欽差大臣であった林則徐は民族の滅亡を救うため、毅然として帝国主義列強が強引に中国に輸入させた約1200トンのアヘンを広東省の虎門で焼却し、中国人民の麻薬と必至に闘う決意を表明した。林則徐の列強を恐れない民族的気概および国と人民を救う愛国主義的精神は、中国の数世代の人を教育し、影響を及ぼした。広範な目覚めた民衆は恥辱を蒙ることに甘んぜず、さまざまな方式でアヘンの侵害に抵抗し、麻薬と不とう不屈の闘争をすすめた。しかし、旧中国では、林則徐および広ヘな民衆の根本的な願いは、実現する可能性がなかった。虎門でアヘンを焼却処分にしたあと、腐りはてた清朝政府はアヘンの禍害を阻止しないばかりでなくA害毒を日ごとに広がらせるとともに、余儀なく銀を賠償し、土地を割譲して、中国を徹底的に半植民地・半封建社会に転落させていった。

 1949年、中華人民共和国が成立し、戦乱の苦しみをいやというほどなめた中国人民はついに国の主人公となった。中国政府は人民大衆を指導して戦争の廃墟の上で自力更正で郷土を再建しながら、麻薬を取り締まる鋭利な剣を振りかざして、数百年にわたって自分たちに害を及ぼしたアヘンという悪魔を消滅した。1950年2月24日、中華人民共和国ェ成立してから5カ月もたっていない時に、政務院は「アヘンを厳しく禁止することに関する命令」を出し、速やかに全国的範囲において麻薬取締運動を繰り広げ、害毒と断固闘争し、麻薬を没収し、罌粟栽培を禁止し、アヘン吸飲店を閉鎖し、強制的に麻薬吸飲を止めさせ、麻薬の生産・販売者を厳罰に処した。麻薬犯罪活動を厳しく取り締まると同時に、中国政府は普通の麻薬吸飲者と麻薬栽培、運送、販売を職業とする者を真剣に区別し、多くのすたれた事業が振興を待ち、財政が非常に困難な状況のもとで、それでも100億元(旧幣)の資金を出して特殊な困難のある麻薬吸飲中毒者を救済し、ほかに290億元(旧幣)の特別経費を支出して、麻薬吸飲を止めさせる薬物の研究、開発に用いた。

 中国政府の指導する麻薬取締運動は非常に民心にかない、全国人民の熱烈な支持を受けた。建国後3年足らずで、麻薬栽培、運送、販売を職業とする人36万9705人を調査して確認し、そのうちの5万1627人は法によって処理された。アヘン類の麻薬を339万両余り(約169・5トン)、麻薬加工機械を1万5716セット、武力販売に使われる銃器を882挺没収し、これによって全国的範囲において基本的に麻薬吸飲現象をなくした。幾千幾万もの麻薬吸飲中毒患者に禁断症状をなおしてやり、麻薬の悪魔から抜け出させ、健康な人生の道を歩ませた。その後の30年間において、麻薬は中国でほとんど跡を絶ち、中国は公認の「麻薬無き国」として世界で名声を博した。

    麻薬吸飲・販売現象が息を吹き返す

 80年代初め、国際的に麻薬風潮がいちだんとはびこり、麻薬はグローバルな災難となり、世界に麻薬による害毒を運よく免れる国が一つもなかった。国連麻薬取締機関の1997年度報告書によると、当面、世界の麻薬不法取引額は年間4000億ドル以上に達し、世界貿易総額の8%に相当するものである。世界人口の10%に当たる人が麻薬の生産と消費に巻き込まれた。巨額の利潤と極めて大きな麻薬消費市場は、絶えず麻薬の生産と販売を刺激している。中国の南西国境と隣接する世界最大の麻薬産地の一つである「ゴールデン・トライアングル」は、アヘンを年間2500ないし3000トン生産し、しかも伝統的な罌粟栽培とアヘン、ヘロイン加工から同時にメチルアンフェタミン加工に発展した。ミャンマー北部のいくつかの地方的武装勢力は依然として麻薬に頼って軍需をまかなっており、武力による麻薬密輸・販売は終始衰えを見せていない。中国通過の麻薬密輸・販売はすでに多ルート、多様化の特徴を呈している。中国の南西国境外側の麻薬栽培・加工・密輸販売現象は日増しに重大となり、1996年の罌粟栽培面積は1万5300ヘクタールに達した。中国の北西国境と隣接する「ゴールデン・クレセント」地区でも麻薬浸透が日増しに深刻になっている。

 国際的に害毒が日ましにはびこるにつれて、国際麻薬密輸・販売グループと麻薬犯罪分子は次々に手を中国に伸ばしてきた。彼らは中国が改革・開放で国の門を開けたチャンスを利用して、新しい麻薬密輸通路を極力切り開き、中国に対する「多ルートから入国し、全面的に浸透する」態勢を形成するとともに、中国で新しい麻薬消費市場を育てることを腐心して画策している。中国の周辺に悪名高い麻薬産地の「ゴールデン・トライアングル」、「ゴールデン・クレセント」があるため、強いショックを受けるのは避けられないことである。1979年、武装警察雲南国境警備部隊は麻薬を携帯して国境を通過する最初の事件を発見、検挙した。1980年、全国の公安機関は麻薬密輸・販売事件を900件検挙した。1984年になると、麻薬密輸・販売事件の検挙件数は急増して、3100件に達した。80年代に密輸・販売された麻薬は基本的にアヘンであり、ヘロインの占める比率は極めて小さかった。麻薬犯罪活動も少数の省・自治区に限られた。1986年8月16日、武装警察雲南国境警備部隊は公安機関と密接に組んで建国以来初めての特大グループの麻薬密輸・販売事件を一挙に検挙し、ヘロインを22・768キロ押収し、温源和、戴文せん、余錫寛ら麻薬密輸・販売者を逮捕した。全国の各大マスコミはいずれもこれを客観的に報道し、善良な中国人をびっくりさせた。このことは、中国の大陸で禁絶されてから30年になる麻薬の幽霊がまたも現れ、30年間跡を絶った麻薬犯罪活動が再び中国の多くのところで息を吹き返すとともに速やかにはびこってきていることを人々に警告している。

 90年代に入ってから、中国における麻薬犯罪活動はますますはびこっている。1989年末、全国のすべての省・自治区・直轄市で麻薬密輸・販売活動が発見され、国内外結託、省・自治区に跨る結託、麻薬密輸・販売活動のグループ化、プロ化の趨勢が顕在化した。1990年、公安部が統一的に指揮し、四川、雲南、甘粛、広東4省の公安機関が共同で多国籍麻薬密輸・販売グループ(番号は「89・11」)事件を検挙し、一度にヘロイン221キロ、麻薬資金200万元を押収し、麻薬密輸・販売容疑者71人を逮捕した。

 中国通過の麻薬販売活動の増加は、国内の麻薬吸飲を蔓延させ、中国の多くの人は「白い幽霊」に蝕まれた。麻薬吸飲問題は初めは主として少数の国境地区で発生したが、80年代中期に入ってから、国境地区の麻薬吸飲者が増加したばかりでなく、中国のその他の地区でも麻薬吸飲問題がだんだん現れるようになった。1991年全国で登録された麻薬吸飲者は14万8000人であったが、1992年は25万人に増え、1994年は38万人となり、1997年末は54万人を突破した。しかも、これら登録された麻薬吸飲者のうち、青少年が多数を占めている。麻薬吸飲の蔓延はまた多くの社会問題を引き起こし、麻薬吸飲が犯罪活動を誘発することも珍しくなくなった。麻薬吸飲者のうち、盗みや強奪を働く者がおり、売春して堕落した者もおり、彼らは社会治安に危害を与え、社会の気風を乱している。統計によると、1990年以来、全国各地で麻薬問題によって引き起こされる窃盗、強奪、拉致、殺人などの事件は年を追って増える趨勢を呈している。麻薬の吸飲と注射はまたエイズ・ウイルスを伝播させた。1997年、全国でエイズ・ウイルス携帯者が8307人発見され、そのうち、麻薬注射で感染したものは66%を占めた。国内に出現した麻薬消費問題に刺激されて、罌粟が栽培されるようになった。近年、少数の不法分子が一部の辺ぴな山間地帯と森林地区で罌粟を不法に植える現象がときどき発見されている。

 上述の事実が示しているように、中国はまたも麻薬犯罪という厳しい情勢に直面している。しかし、中国政府と広範な中国人民は勇敢にも麻薬犯罪の挑戦を受けて立っている。

    成果著しい麻薬取締活動

 中国政府は終始麻薬違法犯罪活動取締を非常に重視している。80年代初め、麻薬違法犯罪活動が再燃し、徐々に増える現象が現れ始めると、中国政府に非常に重視されるようになった。中国政府の麻薬取締の態度ははっきりしており、決意は揺るぎないものである。中国の最高指導部の指導者たちは麻薬取締活動を繰り返し検討し、国務院はたてつづけに麻薬違法犯罪活動を厳しく取り締まることに関する緊急通達を出し、全国人民を動員、指導して麻薬違法犯罪活動と断固闘っている。ものすごい勢いで襲ってくる麻薬吸飲の風潮を前にして、中国政府は再び麻薬取締の剣を振り上げた。中国政府は、麻薬取締活動の指導を強化し、麻薬取締法規を健全にし、麻薬取締措置を完全なものにし、麻薬違法犯罪活動に厳しい打撃を加えている。同時に、麻薬取締活動にさらに多くの人員と資金を投入し、麻薬密売者逮捕特別編制を増やし、麻薬密売者逮捕の特別チームを結成し、麻薬取締経費を支出し、麻薬取締装備を改善し、麻薬吸飲矯正のための基礎建設と研究を強化している。中国政府の高度の重視の下で、麻薬取締活動はたえず強化され、著しい成果をあげた。おおまかな統計によると、1991年から1997年にかけて、全国で麻薬違法犯罪事件を合わせて41万3423件検挙し、麻薬違法犯罪容疑者を合わせて30万9166人検挙し、ヘロイン26・88トン、アヘン14・48トン、メチルアンフェミン5・63トン、大麻10・8トンを押収した。

 ――麻薬取締活動に対する指導を強化した。1990年11月、中華人民共和国国務院は、国務院弁公庁、公安部、衛生部、税関総署、中国共産党中央宣伝部、最高人民法院、最高人民検察院、外交部、国家教育委員会、民政部、司法部、財政部、化学工業部、農業部、林業部、対外貿易経済合作部、ラジオ・映画・テレビ部、国家工商行政管理局、国家医薬管理局、解放軍総参謀部、全国総工会、中国共産主義青年団中央、全国婦女連合会など23部門の責任者からなる国家麻薬取締委員会を設立することを決定した。同委員会は、麻薬犯罪の情勢を分析し、麻薬取締の方針と政策を検討し、制定し、関係ある重大問題の解決を協調し、全国の麻薬取締活動を統一的に指導している。それと同時に、各省・自治区・直轄市も相次いで麻薬取締指導機構と事務機構を設立した。1991年から1997年にかけて、国家麻薬取締委員会は何回も全国麻薬取締活動会議を開いて、麻薬取締活動の経験と教訓を総括し、麻薬取締活動の情勢を分析し、麻薬取締活動を案配し、また中国の麻薬違法犯罪の特徴に照らして、中国の国情に基づいて「三禁(麻薬販売禁止、罌粟栽培禁止、麻薬吸飲禁止)を同時に行い、麻薬の生産と流通を断ち、法律を厳しく執行し、末梢問題と根本問題を同時に解決する」という麻薬取締活動方針をすかさず提出して、全国の麻薬取締活動の展開をこの上なく促した。1998年3月に開かれた第9期全国人民代表大会第1回会議は国務院の機構改革案を採択した後、責任を明確にし、職能部門の役割をいっそう十分かつ効果的に発揮させるため、公安部に国務院の直接指導下で全面的に麻薬取締活動を担当する職責を授けた。中国政府は、麻薬取締活動に対する組織と指導を強化し、麻薬取締活動を全面的に繰り広げることに、新たな、より高い要求を出した。

 ――法制を健全にし、法によって麻薬を取り締まる。1979年、中国は「刑法」を制定するとき、麻薬が中国で基本的に禁絶されたが、少量のあるいは外部からの麻薬違法犯罪活動が現れる可能性もあることを考慮して、第171条に「アヘン、ヘロイン、モルヒネあるいはその他の麻薬を製造、販売、運送したものは、5年以下の有期懲役あるいは拘留に処し、同時に罰金を課することができる」「前項の麻薬を一貫してあるいは大量に製造、販売、運送するものは、5年以上の有期懲役に処し、同時に財産を没収することができる」と規定している。その後麻薬違法犯罪活動が日増しに深刻になり、人々とくに青少年の身心にこの上なく大きな危害をもたらすことにかんがみて、厳しい麻薬取締の情勢に適応し、麻薬取締活動に依拠できる法律を提供し、麻薬違法犯罪を厳しく取り締まる原則を具現するため、1990年12月に開かれた第7期全国人民代表大会常務委員会第17回会議は「麻薬取締に関する決定」を正式に採択した。この決定は、新中国成立以来の成功をおさめた麻薬取締の経験を総括し、中国の実情から出発し、国際麻薬取締条約を参照して、さまざまな麻薬違法犯罪活動に対し明確な処罰規定を行った。1997年3月に開かれた第8期全国人民代表大会第5回会議は「中華人民共和国刑法」を改正する時、麻薬違法犯罪に対する認定と処罰条項を特に補充した。新しい「刑法」は、いかなる者が麻薬を密輸、販売、運送あるいは製造する罪を犯した場合、最高は死刑を判決し、財産を没収することができると規定している。これらのすべては麻薬違法犯罪活動の取締に強力な法的手段を提供した。適時にかつ力強く麻薬違法犯罪活動を取り締まるため、全国人民代表大会常務委員会の認可を得て、麻薬違法犯罪活動がひどくはびこっている雲南省、広東省に対し、最高人民法院は麻薬犯罪の死刑の審査確定権を省高級人民法院に下ろした。各地の司法機関は法によって案件をきびしく処理し、麻薬犯罪案件に対する捜査と審理を重視し、影響ある一部の麻薬販売案件をきびしく、速やかに処理し、麻薬違法犯罪者を大いに震え上がらせた。それと同時に、国務院は1987年、1988年にそれぞれ「麻酔薬管理規則」と「向精神薬管理規則」を制定、公布した。

 ――国境通過の麻薬販売を取り締まり、海外からの麻薬の国内流入を防止する。中国の麻薬は主として海外から入ってきたものであり、中国は国際的範囲に客観的に存在している二つの重大な状況に直面している。一つは中国の南西国境地帯が世界最大の罌粟栽培地「ゴールデン・トライアングル」と隣接していることであり、もう一つは国際麻薬消費市場の巨大な需要がいまなおたえずふくれ上がっていることである。国境通過の麻薬販売は中国の麻薬取締闘争が直面している最も重要な問題である。こうした状況に照らして、中国の法律執行機関はずっと国境通過の麻薬販売取締を首位に置き、断固たる措置をとり、南西国境地帯で麻薬の国内流入を防止し、密輸者を捜査、逮捕するネットワークを設置することに重点を置き、国境地帯の秩序の整頓に力を入れ、国境地帯の警備力を強化し、麻薬取締の特別チームを結成し、国境地帯での麻薬流入防止と検査・制御を強化し、効果的な「三つの防御線」を逐次形成した。第一の防御線は国境地帯をしっかり押え、出入国者を厳しく検査し、不法な出入国を断固制止し、麻薬を最大限に国内に入らせないようにすることである。第二の防御線は要衝をしっかり押え、厳しく検査、防備し、麻薬が第一防御線を越えて国内に入ってくるのを防止することである。第三の防御線は道路、鉄道、水路、空港での検査と制御を強化し、麻薬の国内流入を防止することである。このほか、その他の省・自治区は積極的な行動をとって、重点地区で厳密な防備措置を講じ、たえず取締を強化して、国外からの麻薬の大量流入と販売のすさまじい勢いをある程度押え止めている。

 ――麻薬取締特別闘争を持続的に繰り広げる。各地はあくまで集中行動と日常の取締を結び付け、これまでの長い間繰り広げてきた全国の取締行動は、いずれも麻薬違法犯罪の取締に重点を置き、終始麻薬違法犯罪に対し停まらずに進攻する態勢を保っている。1992年9月、雲南省政府と公安部は断固として果断な措置をとって、長年平遠街に盤踞して悪事のかぎりを尽くし、同地に危害をもたらし、銃器と麻薬を販売する武力麻薬販売グループを一挙に消滅し、犯罪容疑者854人を逮捕し、ヘロイン、アヘンなど975キロと武力麻薬販売・運送用の銃器353挺を押収した。1993年6月から、公安部は南西国境地帯で3年にわたって銃器・麻薬取締特別闘争を繰り広げた。その後の3年間に、公安・国境警備部門は前後して国外の重大な麻薬密売者十数人を逮捕し、麻薬販売事件4437件を検挙し、麻薬販売容疑者635人を逮捕し、ヘロイン3・312トン、アヘン1・755トンを押収した。1997年、中国国家麻薬取締委員会はまた全国的範囲で大規模の麻薬取締特別闘争を繰り広げ、麻薬違法犯罪に対しいっそう猛烈な攻勢をかけた。特別行動期間中に、麻薬違法犯罪事件13万4000余件を検挙し、事件と関係ある容疑者17万4000余人を逮捕し、2500の麻薬違法犯罪グループを取り締まり、ヘロイン5・48トン、アヘン1・88トン、メチルアンフェタミン1・33トン、各種麻薬製造用化学品383・5トンを押収した。広東省、福建省、上海市はまた前後してメチルアンフェタミン製造・販売の大事件を検挙し、一部の地下麻薬加工拠点を取り除いた。持続的にすすめられる麻薬取締特別闘争は、麻薬違法犯罪者の増大する気炎に打撃を加えた。

 ――法によって麻薬栽培を禁止し、国内の麻薬供給源を取り除く。80年代初めから一部の地区で罌粟の不法栽培が多くなった問題に照らして、各級政府は段階ごとに責任制を実行に移し、栽培禁止の宣伝と法制教育を播種の前に行い、全社会を動員して麻薬栽培行為を検挙した。麻薬を栽培すれば必ず追及し、麻薬があれば必ず取り除く方針を堅持し、毎年とも多くの人員を組織して、麻薬の不法栽培問題を調査し、重点的地区に対しては航空測量を行い、ばらばらに栽培した罌粟は、断固として取り除いた。いくら教育しても改めず、麻薬製造用の植物を不法に大面積栽培する責任者に対し、断固として法によって打撃を与え、県・郷・村の責任者の責任を厳しく追及した。

 ――麻薬吸飲禁止と麻薬吸飲矯正措置を実行に移し、麻薬吸飲者の増加を抑える。人民大衆に対する麻薬の侵害を根本からなくし、麻薬吸飲者の生命を救い、麻薬違法犯罪活動を押え止め、最終的に国内の麻薬消費問題をなくすため、中国政府は一連の厳格な麻薬吸飲禁止と麻薬吸飲矯正措置をとった。1995年1月12日、国務院は「麻薬吸飲の強制矯正に関する規則」を公布した。この重要な法規は、法によって麻薬吸飲禁止と麻薬吸飲矯正活動を繰り広げ、公民の心身の健康を守り、麻薬の消費を押え止める上で、きわめて重要な役割を果たした。同「規則」は、麻薬を吸飲、注射して中毒した者に対し、行政措置に頼って、薬物・心理治療と法制・道徳教育を強制的に施し、中毒症状を取り除くように援助すると規定している。各地の政府は公安、司法、民政、衛生などの諸部門を組織し、末端組織と広範な国民に頼って、麻薬吸飲の強制矯正と矯正所から出た者に対する援助教育活動を繰り広げた。1997年末現在、全国に麻薬吸飲強制矯正の場所が合計695カ所あり、ベット数は7万7000余床で、18万3000人の中毒患者の麻薬吸飲を強制的に矯正した。麻薬吸飲矯正所が86カ所設置され、9万余人が麻薬吸飲矯正のための教育を受けており、年間の麻薬吸飲矯正能力は5年前と比べて3倍以上増強した。雲南、陝西、甘粛などの省は麻薬吸飲を強制的に矯正する面で若干の成功をおさめた経験を積み、多くの地方は麻薬吸飲の強制矯正と麻薬吸飲矯正所の管理について実行可能な具体的規定と規則を制定した。内蒙古自治区の包頭市などは全社会が麻薬吸飲者を助け、教育し、麻薬再吸飲率を上げる面で成功の経験を積んだ。少なからぬ省・自治区・直轄市はまた麻薬吸飲者に対し調査と登録を行い、麻薬吸飲者の状況を基本的にはっきりさせ、麻薬吸飲矯正活動を突っ込んで展開するための基礎を固めた。

 ――麻薬取締宣伝教育を繰り広げ、全人民の麻薬取締意識を強める。中央から地方に至るまで、各級政府はあくまで麻薬取締の宣伝・教育を麻薬取締活動の基礎としてそれに力を入れている。経常的な麻薬取締の宣伝・教育をりっぱに行うとともに、中国は長年続けて「6・26」国際麻薬取締デーに麻薬取締の宣伝活動を集中的に繰り広げ、マスコミを通じ、さまざまな方式をとって、政府の麻薬取締の態度と決意を広く宣伝し、国の麻薬取締法規と麻薬の重大な危害を宣伝した。青少年に対する麻薬予防教育を強化するため、『麻薬取締教育読本』と『麻薬予防教育』を編集、出版し、それを中学生の課外教材に組み入れた。宣伝・教育の効果を大きくするため、相継いで多くのテレビ番組を製作し、とくい麻薬取締についての大型のドキュメンタリー・テレビ番組「中華の剣」は放映したあと、国際と国内で大きな反響を呼んだ。各地はまた宣伝・教育の効果を拡大するため、いろいろな形式で「6・26」国際麻薬取締デーを記念している。広東、広西、四川、陝西などの省・自治区はそれぞれ大型集会を開き、集会参会者の前で麻薬を焼却した。北京、内蒙古、河南、甘粛などの省・自治区・直轄市はそれぞれ公開裁判大会を行って、麻薬違法犯罪分子を厳しく懲罰し、犯罪者を震え上がらせ、大衆を教育した。1997年4月21日から、中国国家麻薬取締委員会は麻薬取締ホットライン電話を開設し、もっぱら社会と大衆に麻薬取締知識についての諮問を提供し、大衆からの摘発を受け入れている。1997年末、中国国家麻薬取締委員会弁公室は美術界に中国麻薬取締ポスターを募集し、佳作を選んで各所に広く貼り付け、良好な社会効果をあげた。中国国家麻薬取締委員会はまた「生命を大切にし、麻薬を拒否しよう」をテーマとする全国麻薬取締展を開催し、1997年6月に、北京で展示したあと、全国各地で巡回展覧を行い、すばらしい効果をあげた。

 ――社会の力を動員して、総合的に整備する。各級政府は法律執行機関の職能作用を強化すると同時に、政府各部門と各人民団体に十分に依拠し、積極的に大衆を動員、組織し、政治、経済、思想、教育、文化、行政、法律の手段と方式を運用して、麻薬問題に対し総合的整備を行い、全人民と全社会の麻薬取締の枠組みを形成し、犯罪に打撃を加え、犯罪者を改造し、非行者を救い、麻薬違法犯罪を生み出すさまざまな原因と条件を取り除くなどの面で大きな役割を果たした。一部の省・自治区はまた「麻薬のない県・市」をつくる活動を普遍的に展開して、犯罪を効果的に予防、減少した。資金を調達して、麻薬取締経費の不足をカバーするため、国務院の認可を得て、目下、中国麻薬取締基金会の設立を準備中である。この社団法人式の民間機構は、中国の麻薬取締事業のために重要な役割を果たすであろう。

    麻薬取締の国際協力を強化

 80年代に入ってから、麻薬犯罪がますます国際化、集団化し、特に国境を越えての麻薬販売が直接引き起こす麻薬犯罪が日ましにはびこるというきびしい現実に照らし、中国政府は国際麻薬取締協力に積極的に参与し、効果的な活動を進め、しかるべき貢献をした。

 ――1985年、中国は国連の「1961年麻酔品条約」と「1971年精神薬物条約」への加入を正式に認可され、国連麻薬取締機関の前身である国連麻酔品局と国連薬物乱用統制基金(UNFDAC)と協力を実行し始めた。

 ――1987年4月、ディキンネロ(イタリア籍)UNFDAC執行議長が北京、雲南を訪れた。双方は「ゴールデン・トライアングル」地区の麻薬問題を共同で解決するルートと方法を検討し、麻薬取締協力プロジェクトを実施し、関係諸国に麻薬取締援助を提供するなどの方法を通じて協力を実行することを確定し、「中国政府とUNFDACとの麻薬取締協力プロジェクト」を制定し、それに調印した。

 ――1987年6月12〜26日、138カ国の3000余人の代表はウィーンで国連の開いた麻酔品乱用・不法販売・運送問題についての閣僚級会議に出席し、「生命を愛し、麻薬を吸飲しない」というスローガンを打ち出し、毎年の6月26日を「国際麻薬取締デー」とすることを提案した。1990年2月、国連はニューヨークで麻薬取締問題についての第17回特別総会を開き、「政治宣言」と「世界行動計画」を採択し、今世紀の最後の10年を「国際麻薬取締10年」とすることを決定した。

 中国は麻薬取締の国際協力の積極的な推進者と参与者であり、1988年に国連の採択した「麻薬及び向精神剤の不正取引の取締に関する条約」」に最も早く調印し、批准した国の一つでもある。

 ――「ゴールデン・トライアングル」という麻薬産地が中国と世界に危害をもたらしていることに照らして、中国は国連の提唱した「ゴールデン・トライアングル」地区亜区域での麻薬取締協力に積極的に参加した。1991年2月、国連は東京で国連麻薬取締特別総会を開催した。中国、ミャンマー、タイの三カ国が協議した結果に基づいて、「国連薬物乱用統制基金は「東南アジア麻薬取締戦略」を踏まえて、東南アジア「ゴールデン・トライアングル」地区亜区域における麻薬取締協力の構想を打ち出した。

 ――1991年5月、中国国家麻薬取締委員会は初めての中国・ミャンマー・タイ・国連麻薬取締機関の高官会議を開き、引き続き東南アジア地域で亜区域麻薬取締多国協力を実行する構想を討議した。

 ――1992年6月、中国、ミャンマー、タイの政府代表団と国連麻薬取締機関はミャンマーのヤンゴンで「中国・ミャンマー・国連麻薬取締機関三者麻薬取締協力プロジェクト」とタイ・ミャンマー・国連麻薬取締機関三者麻薬取締協力プロジェクト」に調印した。これはアジア地域での多国麻薬取締協力が正式に実行されたことを示している。

 ――1993年10月、ラオス政府の要請に基づいて、同国を亜区域麻薬取締協力の範囲に組み入れ、中国、ミャンマー、タイ、ラオス、国連麻薬取締機関の代表は国連第48回麻薬取締特別総会に出席した期間に、国連本部で「麻薬取締了解覚書」に本調印し、亜区域麻薬取締協力の中でハイレベルの接触を保つことを決めた。

 ――1995年5月22日、中国政府と国連麻薬取締機関第2期麻薬取締協力プロジェクトは北京で調印された。第2協力プロジェクトの実施期間は3年で、中国政府は6000万元を投じて、国境通過の麻薬密輸活動を取り締まる装備と力を強化する。

 ――1995年5月27日、中国、ベトナム、ラオス、タイ、カンボジア、国連麻薬取締機関は北京で第1回亜区域麻薬取締協力閣僚会議を開き、「北京宣言」と「亜区域麻薬取締行動計画」を採択し、カンボジア、ベトナムを「麻薬取締了解覚書」の加盟国として受け入れることに同意した。

 ――1996年4月、中国とロシアは北京で「麻薬及び向精神剤の不正取引と乱用の取締に関する協力協定」に調印した。

 ――1996年12月、中国はまたインド、パキスタンと国際麻薬取締協力協定に調印した。

 このほか、中国の公安部、衛生部、税関総署は国連麻薬取締機関と何回も国際麻薬取締講習会と研修班を開設した。80年代以来、中国政府は数十回も関係者を関係国・地域に派遣して、学習、視察、研修させた。中国と関係国・地域は麻薬取締協力の面で大きな成果をあげた。1996年、広東、雲南二省の公安機関は香港の警察当局と密接に協力し、建国以来の最大の国際麻薬密輸グループを検挙し、事件と関係ある犯罪者40余人を逮捕し、ヘロイン598キロ、麻薬資金327万元と31万ドル及び各種車両17台を押収した。ここ十年来、国外の関係方面と協力して、国にまたがる麻薬密輸事件を何回も検挙し、国外の麻薬密輸犯罪者を多数逮捕した。これと同時に、中国政府はまたすすんでミャンマー北部地区の住民の罌粟に代わる作物の栽培を援助して、ミャンマー北部の一部地区の罌粟栽培面積をいくらか減らした。

    麻薬取締闘争は任重くて道遠し

 麻薬取締はグローバルな問題であり、任重くて道遠しである。国際的な麻薬吸飲風潮の影響を受けて、中国の麻薬問題も短期間に完全に解決することができないだろう。だが、中国政府の麻薬取締の決意と立場は断固たるものであり、これまで通りに麻薬取締の旗印を高く掲げ、「三禁(麻薬販売禁止、罌粟栽培禁止、麻薬吸飲禁止)を同時に行い、麻薬の生産と流通を断ち、法律を厳しく執行し、末梢問題と根本問題を同時に解決する」という麻薬取締の活動方針に基づいて、麻薬があれば必ず取り締まり、麻薬を密輸すれば必ず懲罰し、罌粟を栽培すれば必ず追及し、麻薬を吸飲するなら必ず矯正することを堅持し、麻薬取締闘争を持続的に、突っ込んで展開していくであろう。また麻薬による害毒が取り除かれない限り、麻薬取締を一日も停止せず、人類への麻薬の危害を最終的に一掃するまで続けていくであろう。

 国外の麻薬が中国に流入して危害をもたらしていることに照らして、中国政府は引き続き国境地帯での取締活動に力を入れるであろう。南西国境地帯では、警察を主体とし、軍隊、税関、民兵、辺境住民からなる合同防衛システムをつくり、国境地帯の治安と出入国秩序を大いに整頓し、国境を厳しく管理、制御し、麻薬取締特別チームの育成に力を入れ、国境地帯での麻薬取締を強化し、麻薬や麻薬加工用化学品の密輸ルートを断固断ち切り、できるだけ麻薬を国内に流入させず、辺境地区で検挙するようにする。

 麻薬吸飲者の増加を効果的に抑え、人民大衆に対する麻薬の危害を取り除き、麻薬違法犯罪活動を根本から一掃するため、中国政府は麻薬吸飲者を強制的に矯正するさまざまな措置をいちだんと充実させ、厳格に実施する。麻薬吸飲を強制的に矯正する施設の建設と管理を強化し、麻薬吸飲禁止・矯正活動の研究に力を入れ、治療水準を高め、麻薬吸飲矯正の効果を大きくする。国務院の「麻薬吸飲強制矯正規則」の規定に基づいて、麻薬吸飲者をみつけ次第、法によって強制的に矯正させ、麻薬を再度吸飲するものは、一律に労働を通じて教育するとともに、引き続き麻薬吸飲を矯正する。麻薬吸飲矯正後の身心健康回復活動をりっぱに行い、麻薬吸飲矯正の成果を固める。

 中国政府は法によって麻薬違法犯罪活動を厳しく取り締まるという一貫した立場と態度を堅持する。職能部門にいちだんと役割を発揮させ、司法機関、税関など諸部門の協調と呼応を強化し、重大事件を摘発し、犯罪グループをつまみ出し、麻薬密売者を検挙し、麻薬犯罪者を厳しく速く処罰する。麻薬違法犯罪の情勢に照らして、麻薬取締特別闘争をすかさず展開し、麻薬違法犯罪の増加の勢いを抑える。個別的麻薬密輸を厳しく取り締まり、麻薬供給源を追究し、秘密販売網を粉砕する。全国人民代表大会常務委員会の「麻薬取締に関する決定」及び新「刑法」の麻薬犯罪厳罰に関する規定によると、麻酔薬、向精神薬、麻薬加工用化学品を提供、販売、運輸、密売する違法犯罪者に対しては、その麻薬数量の多少を問わず、法によって刑事責任を追及する。効果的な管理メカニズムを構築し、輸出入貨物の監督・検査・管理を強化し、麻酔薬、向精神薬、麻薬加工用化学品が不法に社会に流入するルートをふさぐ。罌粟栽培禁止活動の責任制を実行に移し、罌粟を栽培すれば必ず追及し、重点的季節に調査を展開し、麻薬製造の原料となる植物の不法栽培を一掃し、情状が重大である場合はその刑事責任を追及する。

 中国政府は、突っ込んで宣伝を行い、大衆を立ち上がらせて、麻薬取締の人民戦争をりっぱにすすめる。政府の麻薬取締の決意とその方針政策と関係法律、法規を大々的に宣伝し、麻薬の販売、吸飲、罌粟栽培のもたらす極めて大きな危害性を宣伝し、人々がみな知るようにして、全人民の麻薬取締意識をたえず高め、意識的に麻薬を吸飲せず、販売しないようにする。青少年に対する麻薬予防教育を際立ってりっぱに行い、広範な青少年に麻薬が国と人民に災いをもたらした歴史を十分に理解し、麻薬侵食に対する抵抗能力を増強し、生命を大切にし、麻薬と接触しないようにさせる。社会の力と人民大衆を広く動員して、積極的に麻薬取締闘争に身を投じさせ、中国を麻薬取締の大海原に化する。麻薬取締により多くの力を投入し、麻薬取締装備を改善し、麻薬取締についての研究を強化し、麻薬取締の基礎建設を整備し、麻薬違法犯罪と闘う能力と水準を高める。

 中国政府は麻薬取締の国際協力の展開に力を注ぎ、協力分野の拡大に努め、国際社会の麻薬取締闘争の経験を広く吸収する。引き続き国連の提唱した均衡、総合、代替の発展戦略と麻薬需要減少計画を支持し、亜区域の6カ国7者の麻薬取締協力と多角的あるいは二国間の国際麻薬取締協力プロジェクトに積極的に参与する。関連ある国際麻薬取締条約を真剣に履行し、関係国と地域の麻薬取締・法執行部門との情報交流、法執行面の協力を強化し、国にまたがる麻薬犯罪活動に共同で打撃を与え、世界に麻薬がもたらした害毒を一掃するため、たゆまずに努力を払うであろう。

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