昨年の十一月初めに、長い間検討が続けられていた「婚姻法改正案草案」は第九期全国人民代表大会常務委員会で可決されずに終わった。重婚・愛人を囲う、家庭内暴力、離婚などの問題は今回の改正の重点的な内容であった。そのうち、新しい「婚姻法」における離婚の条件は大いに関心が寄せられた問題の一つであった。
胡康生全人代会副主任の話では、一九九九年には、中国では百二十万二千カップルの夫婦が離婚し、千人に〇・九六組が離婚したことになる。離婚率は二十年前より三倍近く上昇した。一部地区で重婚・愛人を囲う、不倫、家庭内暴力のケースも増えた。一部の政府関係者、法学者、婦人団体は離婚率の上昇をモラルの低下、社会の不安定と結びつけている。社会の安定を維持するため、婚姻法の改正では、浮気した側の離婚の自由を制約し、愛人を厳しく懲罰するよう提案している。伝えられるところによると、「婚姻法」は「婚姻家庭法」に改名されることになっている。
「婚姻家庭法」はまだ起草の段階にあるが 、「離婚しにくくなる」、「愛人になることは有罪となる」、「これからは姦通の現場を押さえようとすることが広がる」などさまざまなうわさが社会で論争を引き起こし、人々が関心を寄せている。
全国婦女連合会によると、新しい「婚姻法」の「愛人を囲うことと不倫を処罰する」ことについて、九〇%以上の男性と九四%以上の女性が賛成している。姦通、不倫、重婚・愛人を囲うことに対する処罰について、広東省のある地域では五四・八%の人たちが「刑事責任を追及すべし」と答えた。
新浪ネットによると、ネット上の討論に参加した七千八百人のうち一八%近くの回答者が上述の行為のある人を処罰することに賛成し、八二%の人が「それは不法とみなすべきではない」と表した。
二種類の異なったデータは異なった階層の人たちからのものである。前者は農村と都市の一般市民を主とし、後者は半数近くがホワイトカラーであった。これから見ても学歴の高い人は今の社会のモラルの多元化をよりいっそう受け入れることが分かる。
離婚の後で配偶者を選択すべきである
巫昌禎教授(全国政治協商会議委員 「婚姻家庭法」起草者の一人 法学者)
たくさんの妻妾を持ち、愛人を囲うことは社会の進歩ではなく、家庭の崩壊や社会の不安定をもたらし、ひいては汚職、腐敗を誘発することになる。新しい「婚姻家庭法」は婚姻、家庭が健全で、秩序があり、法体制の軌道に載せることを保障するものである。ここ数年来、離婚率は上昇しつつあり、これが社会の進歩の表われであることは否定できない。しかし、私利私欲に走り、不倫によるいい加減な離婚現象は確かに数多く存在している。
一部の地方裁判所の統計によると、これらの離婚訴訟件数は離婚総件数の四〇%〜五〇%を占め、その上、離婚の際、慎重な態度を取らず、復縁率も上昇している。離婚が最も速かった夫婦の婚姻はわずか二十五分間だけ存在した。ある地域ではカップルが結婚証明書をもらってから一緒に服を買いに行き、意見が分かれて口げんかとなり、なんとその場ですぐ離婚の手続きを取りに戻った。新たに現れた問題や状況が現れているため、一九八一年に公布した「婚姻法」は明らかに立ち遅れている。だから、新しい「婚姻家庭法」はできるだけ早く打ち出されるべきである。
離婚の法定条件についての論争はかなり活発である。現行の婚姻法では夫婦が「感情的に破綻」してこそはじめて、離婚の申し出が認られると定めている。私はこの言い方は全面的でなく、科学的でもないと思う。「夫婦感情の破綻」を「婚姻関係の破綻」あるいは「夫婦関係の破綻」に変えれば、適切で全面的ものになると提案している。しかし、公布された改正草案では「感情の破綻」という表現がそのまま用いられている。これは「婚姻関係の破綻」あるいは「夫婦関係の破綻」に変えると、誤解を招きやすいからである。一方では、離婚しにくくなると思われるようになる。「離婚」についての司法的解釈は「三年間別居している」こと、そしてこの三年間は、「すでに」三年経ったことである、「必ず」三年でなければならないことではない、だから、離婚はさらに難しくなり、離婚が自由にならなくなると思う人がいる。他方では、離婚しやすくなり、三年間別居すれば離婚することができると思う人もいる。混乱を引き起こしやすいために、もとの表現を残している。
その他、「愛人を囲う」(内縁関係)は重婚とは言えるか。多くの人はこっそりとこのような家庭の安定を損ない、離婚を誘発することをしている。このような情況は重婚であるかどうか、重婚罪を言い渡すことができるかどうか。私の意見では、重婚あるいは夫婦忠実の原則に背いたことによる離婚はその民事責任を追及するべきである(もちろん刑法に触れる場合刑事責任を負わなければならない)。「愛人を囲う」ことはもちろんその中に含まれている。
愛人を囲っていることが原因の家庭の崩壊が日ましに増えている。「婚姻家庭法」はこれに対して関連規定を定めることになるかもしれない。婚姻は法律によって保護されるもので、内縁関係、姦通などの行為は配偶者の権益を損なうものである。これは民法上の権利侵害に属し、違法行為である。傷つけられた側は傷つけた側に対して民事の責任を負うことを求めるのである。愛人に刑罰を下すと言うことではない。重婚罪はもちろん含まれていない。
離婚案件判決における損害賠償の場合、過ちのある側が弁償すべきである。次のような三つの状況がある。一、双方に過ちがない。二、双方とも過ちがある、それなら相殺する、また過ちの大きさを見なければならない。三、一人はあって、一人はない場合、過ちのある側が過ちのない側に弁償する(過ちのない方の賠償請求権は自由意志で放棄できる)。「婚姻法」は愛人問題を解決できるわけではないが、愛人に連帯責任を負わせることに根拠を提供することができる。現在、被害者が夫ではなく愛人に賠償請求を申し出たケースもある。
法律は証拠を重んじるものである。われわれは決して姦通の現場を押さえることを奨励したくないし、夫婦がお互いに信頼しなくなることを望まない。不幸な婚姻、死んでしまった婚姻に対し、われわれは離婚の難度を増大させることはしない。「婚姻家庭法」は離婚の自由を保障し、いい加減な離婚を防げる。人間は幸福を求める権利があるが、選択は離婚の後で行うべきである。
離婚の制約は婚姻法改正の主な目標とするべきではない
徐美キ (上海婚姻家庭研究会副会長、上海社会科学院社会学研究所研究員)
離婚率の上昇を社会の不安定な要素とみなし、離婚の制約を婚姻法改正の主な目標とする法律制定の提案は偏っていると思う。離婚の自由と結婚の自由は婚姻自由によって不可欠の重要な構成部分であり、離婚の制約あるいは過ちのある離婚原則に逆戻りすることは現代的な文化にもとり、世界の現代文明の発展傾向にふさわしくない。
離婚行為は決して異常ではなく、社会の常軌を逸する不道徳な行為ではない
既婚者にとって、離婚は婚姻の失敗者の仕方ない逃走であり、彼らが新たな人生が始める自由で賢明な選択でもある。婚姻自由の不可欠な構成部分と必要な補完とする離婚の自由は夫婦の衝突を解消し、破綻した婚姻を解体する調節の機能を持っている。そのため、離婚は一種の法律と情理に合った正常な行為で、それを異常で、社会の常軌を逸する不道徳な行為とみなしてはならない。
離婚率の上昇を若者のいい加減な離婚と同一視することは十分な事実根拠がない。いい加減な離婚は中国社会の当面の主流ではない。
第一、社会生活の中で多くの若者がいい加減に結婚したため、双方の関係がバランスがとれなくなっているが、いい加減な離婚はきわめて少ない。今でも離婚は重い代価を払わなければならない少数者の行為である。大多数の当事者は選択を行う時にまず子女の利益を考慮に入れて、住宅、個人の経済、モラル、良心、世論の壁を越えるのが難しく、婚姻を子供の遊びに等しいとみなし、なにかというと離婚する人は少ない。
第二、司法的視点から見れば、当事者のいい加減な離婚は許し難い。かっと頭に来たので離婚を申し出る当事者に対し、係りの人は調査・確認し、調停し、離婚の申し出を撤回させるか、あるいはそれを認めないことである。例えば、一九九八年に、民政部門と裁判所で離婚の申し出が認められなかったのが三八・五%(その中のすべてがいい加減な離婚者だとは限らない)に達した。
第三、復縁件数の増加によって若者がいい加減に離婚するという結論を割り出すことには確実な証拠はない。復縁率は離婚率の上昇と正比例をなすわけではない、一九八二年、全国の復縁率は離婚率の一一%を占め、一九九九年は、五%以下で、低下の傾向を呈していることが分かる。われわれが何度も復縁夫婦に対して調査を行った結果、「離婚したのはいい加減だった」と後悔する人はわずか十分の一だった。
若者の離婚件数の増加は主に新婚夫婦が役割転換とすり合せの期間にあり、若者は自己意識と個性が強くて、婚姻の質に対する期待が高く、さらに彼らは可塑性が強いから、再婚の機会が多く、再婚の将来性は楽観的で、配偶者と別れる時に後顧の憂いは少ない。その中には道徳的な責任感を持たず、少し思い通りにいかないと焦って離婚しようとするものもいるが、離婚率の上昇を若者のモラル水準の低下と、いい加減な離婚に転嫁するのは公正でなく事実にも合わない。
離婚率と社会の安定には必然的な関連性はない
一部の婦人団体と関係部門は離婚率の上昇は社会の安定に影響をもたらすという懸念を抱き、「婚姻法」を改正する際、離婚の難しさを大きくさせるよう望んでいる。実際には離婚率と社会の安定には必然的な関連性はない。
一、現在、中国の離婚率は世界で依然として低いレベルにある。一九九九年の国連人口統計年鑑の七十二カ国の資料に対する分析によると、中国の離婚率は五十五位を占め、韓国、シンガポール、フィリピン、日本などのアジア諸国はいずれも中国より高い。
二、離婚率は決して婚姻の安定性をはかるただ一つのメルクマールではなく、婚姻の質は婚姻安定の最も重要な前提と保障である。間に合わせの質の低い婚姻は形式から見れば完ぺきで、安定しているように思えるが、実際は矛盾が潜在し、危機が隠れており、不安定になる可能性はもっと大きい。昨年全国で百二十万二千組の夫婦が離婚したが、再婚者の数は百万五千人に達した。一つの愛のない婚姻が解体され、一つの新しい再婚家庭ははぐく、組み合わせるようになり、この新しい基礎を踏まえてもっと高い段階の安定に向かうのである。
三、中国では現在、夫婦関係は依然として高い安定性を持っている。都市・農村の六千余名の既婚者に対するサンプルリング調査の結果、大多数の回答者が夫婦の間相互平等、独立、信頼、尊重、思いやり、理解、幸福感に対する満足度に高い点数をつけた。ここ一年間に配偶者と別れる考えはないという人が八九%を占め、しょっちゅう離婚の気持が芽生えるのが一%にすぎなかった。
四、一つの国と地域の離婚率は実際には社会制度の優位性、社会の安定性と必然的な関連性はなく、地域の経済、風俗習慣、民族の心理、宗教信仰など社会文化の背景と関わりがある。各省、自治区、直轄市の離婚率影響要素に対する多元回帰分析が明らかにしているように、都市化で、経済の成長がわりに高い、家族人数が少なく、負担総体係数が低い省と少数民族自治区の離婚率がわりに高い。
離婚の自由は現代文明の象徴
婚姻法制定の原則が離婚の制約(あるいは過ちがあると見ること)から離婚自由 (過ちがないと見ることあるいは破綻と見ること)への移り変わりは時代の進歩で、社会文明のメルクマールの一つである。
いわゆる離婚の制約は過ちのある側(浮気した側)の離婚の申し出を制約し、それを懲罰するやり方である。しかし、過ちのある側を懲罰するために、実際に破綻している夫婦の離婚を認容しないのは、次のようなマイナスの影響がある。過ちのある側が配偶者をさらにむごく扱い、ひいては矛盾が激化し殺人事件を引き起こすことになりかわない。婚姻、性と愛情の分離をもたらし、過ちのある側が愛人と不法に同居し、重婚および私生児がますます増える一方となる。当事者が証拠を収集し、あるいは自分の潔白を証明するため尾行と尾行を巻くことに精力を費やすことを励ますことにもなり、これは疑いもなく双方の裂け目と憎悪感を激化させて、子女の成長にもマイナスの影響を及ぼし、喜んで結婚し、冷静に離婚する現代文明の離婚のやり方にもとっている。
要するに、離婚の自由を認める法制度は関係が破綻するカップルの増加をもたらすことではない。離婚のやり方で有名無実の婚姻を終らせることをが容易にするのである。離婚の自由は婚姻の自由の必要な前提で、婚姻の自由を確かに実現するために欠かせない保障でもある。離婚を認める基準は「正当な離婚の理由がある」のではないと同時に、「原告には過ちがない」をも前提とすべきではない。過ちのある側にも離婚の自由の権利がある。過ちのある側に離婚の難度を大きくさせる懲罰は実際に過ちのない側及び子女にいかなる実質的利益をもたらすことはできない。過ちのある側への離婚の制約は当事者双方であろうと社会であろうと、利益より弊害が多く、賢明でなく、人々が受け入れられる法律制定の提案であるわけではない。
離婚自由を堅持すると同時に、過ちのある側を大目に見、放任するわけではなく、法律・法規の整備を通じて過ちのない側、弱者である女性及び未成年子女の利益を守り、過ちのある側が代価を払い、それによって次の代を教育し、注意を促す。そのため、われわれは過ちのある側に対する経済的制裁に厳しい態度で臨むべきであると提案し、重い代価を払わせることを考えている。
「北京週報」2001No.5-6より