曾培炎、男性、漢民族。1938年12月生まれ、浙江省紹興出身。1978年9月中国共産党に入党。1962年9月就職。清華大学無線通信電子学学部(エレクトロニクス専攻)卒業。研究員レベルの高級エンジニア。
現職、中国共産党中央政治局委員、国務院副総理。
1956年9月―1962年9月、清華大学無線通信エレクトロニクス学部に在学。
1962年9月―1964年10月、第一機械工業部上海電器科学研究所エンジニア、課題グループ責任者。
1964年10月―1965年12月、第一機械工業部西安スイッチ整流器工場整流器研究室エンジニア、グループ責任者。
1965年12月―1982年1月、第一機械工業部西安整流器研究所グループ担当者、弁公室副主任、副総エンジニア。
1982年1月―1984年8月、中国駐米大使館商務参事処二等書記官、一等書記官。
1984年8月―1987年4月、電子工業部弁公庁主任、計画建設司司長。
1987年4月―1988年5月、電子工業部副部長、党グループメンバー兼計画建設司司長。
1988年5月―1991年4月、機械電子工業部副部長、党グループメンバー。(1989年9月―1989年11月、中央党学校研修第一グループで学習)
1991年4月―1992年12月、機械電子工業部副部長、党グループ副書記兼中国電子工業総会社党グループメンバー。
1992年12月―1993年5月、中央財政経済指導グループ副秘書長(正部長クラス)、国家計画委員会副主任。
1993年5月―1994年8月、中央財政経済指導グループ副秘書長、国家計画委員会副主任、党グループ副書記。
1994年8月―1998年3月、中央財政経済指導グループ副秘書長、弁公室主任、国家計画委員会副主任、党グループ副書記。
1998年3月―2001年8月、中央財政経済指導グループ副秘書長、国家発展計画委員会主任、党グループ書記、国務院三峡プロジェクト建設委員会副主任(1998年5月)、国務院西部開発指導グループ弁公室主任(2000年1月)。
2001年8月―2002年11月、中央財政経済指導グループ副秘書長、国家発展計画委員会主任、党グループ書記、国家情報化指導グループ次席責任者、国務院情報化弁公室主任、党グループ書記(2001年10月)、国務院三峡プロジェクト建設委員会副主任、国務院西部開発指導グループ弁公室主任。
2002年11月―2003年3月、中央政治局委員、中央財政経済指導グループ副秘書長、国家発展計画委員会主任、党グループ書記、国家情報化指導グループ副担当者、国務院情報化工作弁公室主任、党グループ書記(2001年10月)、国務院三峡プロジェクト建設委員会副主任、国務院西部開発指導グループ弁公室主任。
2003年3月、中央政治局委員、国務院副総理に選出。
第14期中央委員候補、15、16期中央委員、16期中央政治局委員。
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