峨嵋山の四大奇観の二、1万もの「聖なる灯」が峨眉山を照らす
峨眉山の「聖なる灯(明かり)」は「仏灯」とも言われ、「仏光」と同じように評判がよく、人々に「1万にのぼる明るいともし火が峨眉山を照らす」、「1万にのぼる明るいともし火が普賢さまに向けて光る」とたたえられ、「仏光」に比べて、更に遭遇しにくい。しかし、終始新しさを求め、異を求める模索者に背くことはできない。その現れる法則を把握しさえすれば望みはある。「聖なる灯」を見るには4つの自然環境が備わらなければならない。一、雨後の晴天。二、空に明月がかかっていない。三、山の下に雲の群れがない。四、山頂で大風が吹かず、大雨が降らない。古今を通じて、「聖なる灯」を目にした人は少なくなく、3晩続けて目にした人もいくらでもいる。西暦1701年、高僧の乇中法師は、その『峨山を朝して記す』の中で、「夜になると、僧が聖なる灯が現れることを告げてくれ、閣に寄りかかってそれを見ると、空には数10の明かりに隠れて光り輝くものがあり、かすかな明かりのものが最も明るく、上から下までつながり合い、寺の前に飛んでくるものがある。伏虎寺の聖なる灯はめったになく、山の頂上で明かりを見ることができないなら、今はここで見てそれを補い、これは特別の待遇である。続けて3晩見て、5日間休んでから戻った」とユーモアたっぷりに記述している。徹中法師は金頂で「聖なる灯」を見てはいないが、伏虎寺に着いてからは見えたし、また3晩心ゆくまで見たので、本当に幸運でふしぎな縁である。条件が備わりさえすれば、それを目にするのは難しくないことを物語っている。
峨眉山で「聖なる灯」が見えるところは、1ヵ所だけでなく、霊岩寺、伏虎寺、華厳頂、洗象池、天門石などでも見られ、歴史上かつて現れたことがある。最も信頼できるところは金頂である。
1981年に作家の馬識途氏は『峨眉山の下のすばらしい景色』の中でこう書いている。突然目の前の深い谷の中にかすかながらホタルの光が現れ、しばらくして非常に多くのものが舞い上がり始め、すると仏灯が昇ってきたのだ。実にこれは山の下のリンの光が舞い上がってきたのである。
1000余年来のいろいろな言い方はあるが、人びとに信じ込ませることはできない。伏虎寺の森の中に、どうしてリンの光があるのか。華厳頂、洗象池にはどうして水田があるのか。上は青空に浮かび、下は谷の底に沈み、大きなものは碗のようで、小さなものは豆のようであるのは、またどう説明するのか。
最近まったく新たな発見があり、「聖なる灯」は木の枝の上に付着している「緊密な環状のバクテリア」であり、空気の湿度が100%に達すると発光するのだと言われている。1983年に井岡山総体企画委員会のフィールド・ワークチームが、南屏嶂水口坳というところに夜宿泊した際、「聖なる灯」と非常に似た光景を目にした。隊員たちは発光している区域の土壌、岩石、昆虫などと関連ある植物の枝葉を採取して化学検査を行ったところ、結局、発光しているのは木の枝の上に付着した「緊密な環状のバクテリア」といわれる菌類であり、水分が100%以上に達すると、すぐに発光し、乾燥すると発光現象はなくなる。このようなバクテリアの付着した枝葉がやみ夜の中でホタルの光のようなものを四方に放つのは、文字通りに緊密な環状のバクテリアが十分な水分を得て空気中の酸素と互いに摩擦しあう結果である。これは1000余年前の徐太妃という人の詩の中の「小雨が湿って消えず、よい風が吹くと更に明るくなる」、400年前の王士性の『旅行記』の中の「聖なる灯が見えるのを待ち、数千数百にのぼる乱れ飛ぶホタルのように、飛び交うが、それは全て木の葉である」とこれはまったく非常にぴったりした指摘であり、「聖なる灯」の長年らいのナゾは、何とか信じることのできる説明が得られたわけである。
「聖なる灯」という奇異な自然景観は、祖国の万里の山河で多く見られるものではなく、明代の嘉州(現在の楽山市)知州であった袁子譲は湖南郴県の人であり、その郷里の「宝山の夜の火」は峨嵋山の「聖なる灯」と似ていると言った。宋代の名もない人が書いた『鬼董』という本の中で「廬山の天池峰、曼利刹利菩薩が法事を行うところに、夜ごとに聖なる灯がともる」と書いている。そのほか、まだ見たことはないが、国外はこのような奇観があるのかどうかについて、聞いたこともない。この「峨嵋山の聖なる灯」が「世界の極み」の玉座を占めることになるかも知れない。
「チャイナネット」2003年6月30日