餃子はその名も知れた慶事,一家団欒を象徴する中国家庭料理である。昔から、大晦日、正月の五日、土用、冬至…など多くの機会に餃子を食べる習慣があり、これに関しては早くも漢代の記載に見ることができる。60年代、新疆にある唐代の墳墓から完全な形で保存された餃子が盛付けられた木製の碗が発掘されたが、これが今までに発見された最古の餃子である。
現代では代々相伝の餃子が異彩を放っているが、餃子の種類でその名の高い“天津百餃園”は世界記録を破り、“世界最高水餃子品種”賞を受賞している。知るところによれば、ギネス記録の種類は多いが、飲食業界におけるギネス記録は初のことである。
百餃園の229種の水餃子は野菜類、水産類、山菜類、健康食品類、海鮮類など大きく十種類に分類され、酸(酸味)辣(辛味)鴨(アヒル)血、蝦仁(エビ)芹(せり)菜、玉米(コーン)面、山楂(サンザシ)銀耳(白キクラゲ)などの種類があって、その餡が多く薄皮に包まれた餃子は現場製作現場茹で上げで供される。それらの中でも極めて精緻に作られた小指大の餃子が目を引くが、その形状は真珠のようでとても美味であり、“太后鍋”餃子の美称で呼ばれている。
清朝光緒年間、八カ国連合軍が北京に進撃したため、西太后は慌てて逃走した。逃走途中、太后は疲れを感じ天津の楊村で休息をとった。その晩、鬱々としながらも京劇を見ていたが、突然空腹を覚えて体を動かすと、宦官はこれを見逃さず御膳をお持ちいたしましょうか?と尋ね、太后が頷くと宦官は大急ぎで準備に走った。
太后を喜ばせる為、宦官は料理人たちにメニューを提示し、太后が未だ食べたことが無い料理で、食べながら作る事ができる料理を提供するよう命じた。料理人たちは工夫を凝らし、太后が好きな雛鳥の干し胸肉を餡にした餃子を差し出した。杏の種ほどの大きさの餃子は、真珠を撒き散らしたかのごとく美しく盛付けられていた。そして、宦官は太后の前に置かれた長方形の机の上に、静々と鶏鴨(鶏とアヒル)スープを置き、鍋下の木炭に火をつけた。夜の帳の中で、木炭の火が揺らめき満開の菊の花のように見えたので“菊花鍋”とも称される。太后はこれを非常に喜んで賞賛したので、“太后鍋”餃子の名称を得たのである。
俗に“餃子を酒の肴にすれば、食べれば食べるほど酒が進む”といわれているが、百餃園では百余種の餃子のほかに天津、四川、山東、広東、福建五大料理の小料理も提供している。京城百餃園は黄色の瓦に赤い壁、大きな紅提灯が掲げられ、古い中国の趣を湛えている。内部インテリアも古めかしく、骨董、水墨画などで飾られており、両側に立ち並ぶウエイトレスも中国伝統の服装で奥ゆかしくサービスに努めている。人の意見が多くてまとまらない時は、餃子を食べるに限る、と言う人もいるほどである。暇な時に、中国伝統文化の中に身を寄せ、美しく透き通るような薄皮のまったりとした味を味わうのも一興である。
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