私のような年齢の者が昔のことを長々と話すのもどうかと思うし、新世紀に対する大胆な抱負は若い人にゆずりましょう。先ほど関西大学から魯迅の研究者、鳥井克之教授がいらしていたので、その時の話題に続けて中日文化交流の話にしましょう。
文化は長い時間をかけて、実りをもたらすものです。大詩人・屈原、偉大な歴史家・司馬遷、彼らの身体は今、骨のかけらさえ残っていませんが、作品は永遠に世に受け継がれています。そして文化は交流を必要とするものです。私達がよく言う「文化圏」とは、文化交流の結果生まれたものです。中国、日本、韓国、ベトナムなどは一大文化圏で、千年以上の交流史があります。中国文化を対象にする日本人研究者が交流を必要とするのはもちろん、日本文化を対象とする日本人研究者にも交流は欠かせないでしょう。
先月、雲南省では、日本から学者四十人が参加して、国際稲作文化研究討論会が行われました。日本は昔、陸稲を栽培していましたが、その後、中国から水稲が伝来しました。ただし、それはいつの時代で、中国のどこからなのか? 一説では雲南、そのほか江南地方や、福建省などの説もあります。学者たちは水稲伝来の長年の謎を解くため集まったのです。
私のような中国文化の研究者にも、もちろん交流は必要です。歴史の変転のなか、失われた中国文化は少なくありません。唐代の文献、音楽、舞踏、例えば雅楽『蘭陵王』など、今では中国から失われ日本にのみ残っているものもあるのです。このようなものは日本に研究に行かなければなりません。
ここ十数年、関係者の往来、書籍の出版、留学生の交換は、非常に活発になっています。関係者の往来は、団体交流も、個人的に研究に訪れる人もいます。例えば、伊藤清司・北京師範大学民間文化研究所客員研究員は、頻繁に日本と中国を行き来しています。二年前、私達は研究者向けの民俗学講座を開設し、伊藤研究員はその折、講師としても北京を訪れました。伊藤研究員から最近日本で出版された『日本民俗大系』全十二巻を受け取りました。また彼は雲南で、『中国古代文化と日本』という本を出版しており、中国の民俗文化、民話について、すぐれた研究活動を行っています。
書籍の流通も目をみはるものがあります。中華書局の要請で、私自身も今、『世界民俗学叢書』の編さんにとりかかっています。これは理論書で、今序文を書き進めています。これには柳田国男の『民間伝承論』も収録される予定です。
相互の留学生の交換はさらに重要でしょう。例えば私が指導教官として担当した高木栗子さんは、博士課程を修了し、彼女の論文「中国と日本の民話比較」は、日本で出版される予定です。彼女は現在、中国人民大学日本語科で日本語を教えながら民俗学の講義も行っています。また高木さんが北京放送で、日本人むけに紹介している中国民間伝説は、とても人気のようです。
私は、一九三四年から三六年、早稲田大学大学院に在籍し、柳田国男などの文献を学びました。それは生涯にわたり私の学問の基礎になっています。新世紀を迎えるにあたり、さらなる中日交流を改めて期待したいと思います。
(筆者は中国民俗学会理事長、民間文芸家協会名誉主席、「中国民俗学の父」と呼ばれる)
「人民中国」2001年3月号より