重要な成果を収めた天然林保護

 1998年に中国がひどい災害に見舞われた年である。長江流域の広い地域で、半世紀以来最大の洪水の被害が発生した。記者たちが長江の源へ赴いて広々とした森林と植被が痛ましい現状を、新聞やテレビを通して全国に報道した。自然災害の発生で、政府と国民は過去数十年来生態と環境と重視しなかったことに対し、深く反省するようになり、つづいて政府は、天然林伐採の全面的禁止の決定を行なった。これは再びまちがいを繰り返さないためにとられた対策であるが、この断固とした政策は、国民の幅広い支持を得た。「哀れな森林を救おう」「生態バランスを回復せよ」というスローガンは、中国人全体の内なる願いである。

 中国は、発展途上国で、膨大な人口のうち、数多くの貧しい人々が森林周辺に居住し、代々「山辺のものは、山によって糧を求める」暮らしをしてきた。その外、人口の半分近くの農村人口は今でもたきぎで食事をつくり、暖をとったりしている。

近年来、インフラ建設、製紙業、家具業の迅速な発展で、木材に対する需要は急速に増加している。統計によれば2000年までに全国の年間の木材必要量は、約1億立方b以上に達するが、国内の木材供給量はわずか6400万立方bしかないため、2000余万立方bは輸入によることになる。これまでの数十年間、中国は規模の大きい森林工業部門を設置してきた。国有森林企業だけでも135社あって1997年の職員数は141万であった。明らかに、これほど多くの従業員を減らしまたは転職については短時間内に実現するのは容易なことではない。同時に、中国はまた木材の消費大国である。上述の矛盾によって天然林を保護し、生態回復への努力はいっそう難しくなった。

 どのように経済発展と生態環境のバランスを取るのか、中国林業の持続的発展の道はどこにあるのか、これは各級政府、環境保全部門と林業科学界の前におかれる大きな、そして早急の解決を迫る課題である。喜ばしいことに、この問題についての研究、模索と実践は、中国最大の経済特別区海南省で優れた成果を収めた。この「海南島熱帯森林の分類経営と持続的利用モデル」と題するプロジェクトは、国際熱帯木材機構(INTERNATIONAL TROPICAL TIMBER ORGANIZATION)(略称はITTO)と中国政府の協力による天然林の経営持続可能なモデルプロジェクトである。1993年から本格的にスタートし、2000年末までに完成する予定で、ITTOから400万米ドルの援助金を獲得した。

海南省の政治、経済、社会と自然環境に対する全面的な調査研究に踏まえて、中国林業科学研究院と海南省林業局の科学研究員は7年間にわたって4つのプロジェクトのモデル区を設立し、それぞれの区内で分類経営の方法によって天然林資源を保護し、生態バランスを保たせると同時に経済と社会の発展を併せて配慮する目標に努力を重ねてきた。海南省に中国唯一の熱帯降雨林山地があり、植生面積は全島の52%に達し、中国の各省で第4位を占める。林業専門家の説明によれば、2000余年前の漢代には、海南島の90%以上の土地には熱帯原生林に覆われていたが、経済の高度発達の唐・宋時代(618~1297)になると、海南島は政府の木材基地と指定され、広範囲にわたる森林伐採が始まり、戦争が絶えず勃発した清代(1644~1911)は、海南島は造船基地になった。今世紀の30年代、日本侵略者は、海南島の木材を大がかりに略奪し、戦争に使っただけでなく、大量の木材を日本へ運び去った。このため、天然林は再度壊滅的な破壊を受けた。新中国の成立後、海南島の森林工業は、速やかに発展を遂げると同時に、ゴム林を栽培する必要に迫られ、広い原生林がまた伐採された。島上の熱帯天然林の面積は、50年代の83万fから、急速に90年代の30万fに激減した。この厳しい現実に、海南省政府は1994年すべての天然林の伐採を禁止する命令を正式に公布した。

 しかし、天然林の伐採は政府の命令一つだけで禁じられるものなのか、島内の木材工業はひき続き発展させるか否か、天然林周辺の人びとの生計は如何に立ててゆくか、これらはすべて解決できなかった問題であった。

 「熱帯森林の分類経営と持続的利用モデル」プロジェクトは、前に述べた複雑な要素を十分に考慮したうえで、「林業分業論」の主張に基づいて、商品化代替用林の発展によって、徹底的に森林周辺住民の生産と生活問題を解決し、さらに科学的な手段で天然林の有効的な保護を行ない、経営の持続可能な総合的措置を実施するシステム化されたプロジェクトである。

この第一期の分類プロジェクト実施区は、地勢の比較的平坦なタン州地区にある熱帯人工林モデル区に設置されている。モデル区の任務は、国内外の先進的育苗の技術を採り入れて、多収穫生産の商品化人工林を開発・運営すると同時に、その成果を全国におし広めることによって、この促成、多収穫の良質木材で、市場の需要を満たし、天然林に対する需要を軽減させていく。7年間の栽培と管理によって、年間300万本の苗木を産出できるモデル圃場がすでに完成し、現在その成熟した技術を利用して省内外の林業部門に24種類のユーカリとその他の多収穫の種苗を提供している。この外、モデル圃場に2000f近くの人工林が栽培され、ユーカリの木が見事にまっすぐ空高く立ち並んでいる。6年後には理想的な建築用木材と製紙の原料となる。同プロジェクトの責任者、林業専問家温茂元の紹介によれば、この科学研究モデル区の役割は逐次に現れてきており、開発されたいくつかの技術成果は、すでに省内に推広められ、まわりの人びともこのモデル林と圃場に深い関心を示し、種苗の提供とその育成技術の訓練を要求している。現在までに、地元の村民は、モデル区が提供した種苗で、優良なユーカリを130f栽培した。

 海南島の三分の一の人口は農業、林業と牧畜業の交差する地区に居住しているが、そのうちリ一族、ミャオ族などの少数民族が主である。この地区の農業は、とても立ち遅れているため、ほとんどの人は貧しい生活をしていて、樹木の伐採をたよりに生活を支えている。ITTOのもう一つの分類プロジェクトは森林周辺地区の人々に生産技術と新しい生産方式を提供し、永久に森林にたよって原始的な生活様式に別れを告げるようにすることを目指している。過去の7年間に、科学研究用員は地元政府の協力を得てタン県雅星鎮の大面積の丘陵地帯で500fの人工生態システムモデル区に開発することによって、昔の荒れ山が今日の田園にような美しいところに変わった。牧草に覆われ、良種の牛や羊の群が放牧され、隣りの農地や果樹園にサトウキビ、マンゴー、パイナップルとキャッサバなどが栽培され、面白いコントラストをなしている。モデル区内にまたゴムの木、チークなどのような喬木も植えられている。これらの樹木は、水分と土壤保全の外に、大量の木材を提供している。

すばらしい農業生態環境は地元住民の生活様式を一新させた。リー族住民が72%を占める雅星鎮は、文字通りの貧困地区で、農業はまだ原始的な農耕法を使っており、一人あたりの年収は700元にもならなかった。ところがモデル区内の25戸の農家は率先して豊かな生活をしている。二人の子供を育て、モデル区内のダム近辺にすむリー族青年黎蒙慶夫婦は、科学研究要員の助けで家のまわりの空地にサツマ芋を植え、豚小屋はメタンガス池とつながっていてクリーンで使いやすいエネルギーが供給され、家から少し離れた所の養魚池では魚が養殖され、川では鴨が飼われている。農繁期に隣村から手助けに来た親戚は、黎蒙慶の多角経営をうらやましがっている。1998年、黎蒙慶の収入は、3万8000元に達した。黎さんはこれに満足はしておらず、豚や魚を飼う収益はわりによいので、今年はその規模を拡大するつもりだという。

現在地元の人々は、庭を使った黎さんの経営手段を「黎蒙慶モデル」と呼び、われ先に習っている。鎮政府責任者の紹介によると、周囲の農村の66戸の農民が黎蒙慶のような多角経営を始め、年内で120戸に達する見込みだという。モデル内でいろいろな成功を収めた栽培と養殖方式は、農民が豊かになるのを助けることができ、ITTOの同プロジェクトは、林業と生態のためにサービスすると同時に、深遠な社会的意義をもっている。

 この膨大なシステムのもう一つの分類プロジェクトは、美しい霸王嶺林区に設けられている。区内の天然林総面積は、2000fに達し、90%は山地降雨林で、樹木の備蓄量は35万立方b。政府部門の特別認可を得て林業科学者はここで天然林を現代のために利用すると同時に、後の世代のことも考慮する持続的経営の研究を行ない、いかに森林を合理的に伐採するか、伐採後の更新はどのようにするか、経済効果と収益をあげ、同時にその生態環境と動・植物の多様性を変わらないように保つのかということに重点を置いている。

 違った種類の木に対する合理的な伐採と、新しく植えた木の生長周期を細かに観察するため、木に赤と白い布で印をつけ、研究者たちは観察器具で伐採による土壤、水質及び森林全体の変化に対して長期的な観察と研究を行ない、現在、すでに一応の成果を収めた。

 如何に先進的技術を利用して、熱帯原生林に対する有効的な保護を実施するかは、尖峰嶺林区の第4期分類プロジェクトの任務である。尖峰嶺林区の熱帯原始林の総面積は、約8000f、早くも1956年に政府はすでにその中心地を伐採禁止区に画定し、1965年尖峰嶺は自然保護区に、1993年国家森林公園に指定した。尖峰嶺原生林は、中国でよく保存された熱帯森林地帯の一つで、高くそびえ立つ古木と熱帯植物が茂る林区に入ると、観光客はあたかも「ガリバー旅行記」の中に描かれた小人のように感じる。溪流がせせらぎ、空気もとても新鮮で、キツツキが木をつつく音は絶えず聞こえてくる。

 林業区の従業員によれば、尖峰嶺林区に2200余種の高等野生植物があり、200余種の鳥類、70種の動物と90種の爬虫類、2200余種の昆虫が生息している。ITTOプロジェクトグループの協力の下で交通、通信、消防施設の整備、要員養成、熱帯林の生物多様性に対する長期的観測研究を含む近代的森林保護監視システムはすでに完成された。地元住民の森林に対する破壊を減少させるため、研究者たちは、周囲の村落で数多くの栽培と養殖テストステーションを設けて、果樹、竹、漢方薬材、苦丁茶(お茶の一種で特に味が苦い)の栽培を指導している。

 天然林の伐採禁止後、森林伐採企業と地方政府の財政収入は、一時的に大幅に減少したが、ITTO プロジェクトの実施につれて、原生林保護区で伐採業の代わりの代替産業と経済自養システムの発展構想は、霸王嶺と尖峰嶺両林業局の生産転換を通じてよりよく実現された。もともと尖峰嶺林業局の年間伐採収入は3000万元だったが、現在伐採に代わる産業を発展することによって、年間収入はすでに1400万元に達し、その上政府から提供される伐採禁止手当を加えて、職員全体の生計は基本的に保障され、3分の2の職員はすでに再就職した。霸王嶺林業局の林崇飛局長の紹介によれば、伐採禁止の前、この林業局は毎年1万立方b以上の木材を伐採し、生産高は2000余万元だったが、94年の伐採禁止後、1800名の職員の生活は困境に陥った。近年来職員たちは大量に柑橘、マンゴー、レイシなどの果樹を栽培すると同時に、小型水力発電所を建設したり、ゴムと松脂を生産したりして伐採の生産高収入の60%に達した。林局長は引き続き次のように述べている。これらのプロジェクトが全面的に経済効果と利益を収めるまで、およそ5年ないし10年も必要だが別の産業いずれにしても転換の道を見付けて大部分の職員が再就職できたのは喜ばしいことである。国の利益から見れば大きな損失を受けたが、伐採禁止以後の何年間で森林生態は著しい回復を見せた。

 海南島で実施された「熱帯森林の分類経営と持続的利用モデル」プロジェクトは、地元の経済と林業の発展に、広範かつ深い影響を与えた。プロジェクト弁公室主任、海南林業局科学技術処の黄金城副処長の紹介によれば、ITTOプロジェクトは海南島に新しい技術を導入したと同時に、世界最新の林業の観念を導入した。7年来,各地でITTOの分類プロジェクトの実施につれて、林業の分類経営、持続的発展の思想はすでに地元政府と林業科学界に受け入れられている。ITTOプロジェクトはすでに終了することになったが、その成果とモデルの果たした役割は、長く続いていくだろう。林業発展と生態保護は海南省で「生態省」を建設する戦略の主要な一環であり、ITTO プロジェクトの構想の方向、実践方法、情報ルート、知識及び養成した人材は、朱k基総理の打ち出した「樹木が生い茂り、至る所が緑色、咲き乱れる花」のある海南島の発展におおいに助けるであろう。

 1986年に成立したITTOは世界の51の木材生産国と消費国からなる国際組織である。海南島熱帯林プロジェクトはこの組織が木材生産国に最大の資金を提供したプロジェクトの一つで、また中国で実施している10件のうちの最大のものでもある。今年の3月、ITTOの援助国のうちのスイスは、政府代表、林業専門家の・ジェムス・K・ガサナ(James・K・gasana)博士を派遣して、海南島で実地調査を行なった。森林地区、実験項目の実地観察、科学研究要員及び地元の政府役人と意見を交換し、ガサナ博士は海南島熱帯林プロジェクトの科学研究成果に対し深い印象をのこしたと語った。中国の科学研究要員の能力と経験を自分の目で確めることができたし、海南島プロジェクトの収めた成果と経験は中国だけでなく、その他のITTOの会員国に対しても十分有益なことであると考えるようになった。

 8年間予定のITTO「熱帯森林の分類経営と持続的利用モデル」プロジェクトは、すでに完成となったが、その林業発展と生態発展の面における役割は四つの実験区のすばらしい成果よりはるかに大きい。このプロジェクトの計画者を兼ねる総責任者、中国林業科学院研究員洪菊生教授は「この10年来、熱帯林は世界の関心を集めるホットスポットで、世界環境発展大会のテーマの一つでもある。発展途上国として、中国は経済の発展と環境保護の鋭いジレンマに直面しているため、生態を破壊しない経済増長を促進する林業の持続的発展の道を見付けるのは林業科学界のさし迫った任務でもあり、海南熱林プロジェクト計画の初志でもあった」と説明した。

「チャイナネット」2001年4月16日