五輪招致に成功
2001年7月13日は歴史的に銘記される日となった。この日、モスクワで行われた国際オリンピック委員会(IOC)第112総会の投票では、3000年の悠久な歴史をもつ北京は5つの五輪招致都市の中から群を抜いて、2008年オリンピック大会の開催権を獲得した。その夜、中国の人々および中国系の人たちが住んでいる世界各地は沸き立った。北京の天安門広場と長安街およびその他の都市の主な大通りは興奮した中国の人びとによって埋め尽くされ、全中国が眠れぬ夜を過ごした。
オリンピック大会との切っても切れない関係とは1979年にまでさかのぼることができる。この年に、中国はIOCの合法的議席を回復した。1981年、何振梁氏がIOC委員
に選ばれ、中国とオリンピック競技との関係およびIOC委員会との協力は新たな歴史的時期に入った。それ以後、中国のスポーツ界はオリンピック競技種目の普及および推進の作業を積極的にサポートし始めた。
オリンピック競技の広範性の原則にのっとって、世界人口の5分の1を占める中国の人びとはオリンピック大会開催の栄誉と喜びを分かち合うことができるようになり、北京は2000年にもオリンピック大会招致活動を行ったが、1993年のIOCの投票で2票の差で落選した。1999年に、北京は改めてIOCに2008年オリンピック大会招致を打ち出した。その前と比べ、北京のここ8年間の経済成長率は年平均8%を上回り、過去5年間の北京の財政収入は年平均20%以上伸び、経済力は大いに強化された。これを踏まえて、東側と西側の文化交流とオリンピック精神の発揚を促進するため、北京は「人文五輪、グリーン五輪、科学技術五輪」という三大テーマを打ち出し、人間を根本とし、個性化を具現することを強調し、オリンピック大会が人と環境のバランスがとれるようにし、環境を大いに促進するオリンピック大会を開催することを願っている。体育館とオリンピック選手村の建設、通信、交通、日常の設備の面で、デジタル技術、ブロードバンド(広帯域)技術、環境技術、省エネおよび節水技術など現代のハイテクを生かすことにしている。北京の五輪招致活動は全国人民の賛同を得ており、身分、職業と年齢の異なる一般の人々はさまざまな形で北京の五輪招致への支持を示した。
環境の改善に対する約束は北京が得票数を勝ち取ったいま一つの重要な要素である。1993年の春、IOC視察団が北京に来たとき、その環境状況は一行を満足させうるものではなかった。2001年2月に、IOC視察団が再び北京にきたとき、以前とまったく異なった北京を目にした。この年には、砂あらの天気が大幅に増加したにもかかわらず、北京の大気の質は大いに改善され、大気の質が3級以上に達する日数が年間85%を超えた。大規模な植樹造林によって、北京は7000ヘクタールの樹林地帯を新規増加し、緑化ベルト地帯の建設は80%完成し、市全域の森林・樹木カバー率は43%に達し、市街区では2556ヘクタールの緑地面積が新規増加した。
現在、北京2008年五輪大会組織委員会がすでに発足し、関連作業がすでにスタートした。市政府が資金投下する最初の89件の重点インフラプロジェクトは2001年末に着工された。その中には空港、道路交通施設、軽便鉄道・地下鉄、天然ガス利用への改造、都市部の給水、電力設備、汚水処理、河川整備、電気通信など各方面のものが含まれている。科学技術部、国家体育総局、中国科学院など9つの部門が共同で作成した「2008五輪科学技術行動計画」も実施され始めた。同計画は全国ひいては全世界の科学技術革新の成果を集め、世界一流の優れた技術成果を北京オリンピック競技大会のために応用するように努めるものである。最初の五輪科学技術プロジェクトは、2008年オリンピック競技大会の各方面と関わりのあるもので、重点はオリンピック競技大会開催の焦点、難点に関する問題の解決に置かれている。
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