私たちの世代に比べると、今の若者たちはハッピーだと思う。すべての好条件がととのっているだから・・・。しかし、ひとつだけ私は幸せだったと思っていることがある。つまり、自分でシステムを構築していく苦労を味わえたことだ。おかげで自分に適したシステムを構築していくノウハウを少しは身につけたと自負している。
最近、中国東北部の大学で日本語の教学に携わっている友人からの便りで、日本語科の卒業生の就職率は百パーセントだと言うことを知り、大いに喜んでいるが、こうした卒業生たちも、大学では日本文学、日本語文法の勉強をした人たちであろうが、この人たちも日本企業などに就職することで、大変身を余儀なくされることになるのではないだろうか。つまり、企業に勤めることは日本文学の翻訳家、研究者になることではないのだ。マーケット・リサーチや営業の仕事でみっちり鍛えられることになろう。先般、日本の企業に就職したはいいが、どうも自分は勘違いをしていた。もう一度大学院に入り直して言語学者としての道を歩もうと思うが、という相談をもちかけてきた人がいた。私は学者としての道を歩みたいのなら、そうする以外にないだろう、と励ましてあげた。
要するに、外国語に精通することは、必ずしも翻訳家になることとはイコールではないのだ。
五万数千人もいるといわれる中国の日本語学徒が実社会でもまれながら、自分が、「これだ!」という 道を探し当てることを願っている。
「中国網日本語版(チャイナネット)」 2011年2月20日