遵義海龍屯

(貴州)

发布时间:2022-01-05 | 来源:中国網日本語版

遵義海龍屯


 貴州には土司文化遺跡が数多くあり、その中でも遵義海龍屯の土司城遺跡は最も有名で、「絶壁の上の土司宮殿」と呼ばれている。2015年7月、ドイツのボンで開催された第39回世界遺産大会で世界遺産リストに登録され、遺跡の面積は遺産区と緩衝区を含む12.9平方キロメートルである。


 海龍屯は遵義市(旧称播州)高坪鎮海龍屯村の龍岩峠に位置し、南宋宝祐5年(1257年)に建てられ、九つの関所が建てられ、明万暦28年(1600年)の「平播(播州の乱を平定する)の役」の際に破壊された。海龍屯は険しい地勢で、海抜は最高1354メートル、最低974メートルで、400メートル近くの高低差があった。中でも最も険しいのは「空の階段」であり、かつて「三十六歩」と呼ばれ、長さは55メートル、傾斜角度は45度、階段幅は2.7メートルであった。


 1257年、モンゴル軍の南下を阻止するため、当時の播州官がこの軍事城を建設しようとした。2年後の1259年、モンケ・ハンは重慶合川釣魚城で戦死した。海龍屯と釣魚城が同時期に軍事的要塞を作ったのは偶然ではなく、播州人が築城に長けていることと密接な関係がある。釣魚城の造営者は播州人の冉琎、冉璞兄弟であった。元朝の大軍は阻まれ、雲南省を遠回りして中原王朝に攻め入るしかなかった。明万暦27年(1599年)、播州宣慰使であった楊応龍は明に背いて挙兵した。朝廷は24万の大軍を送り海龍屯を破った。この出来事は歴史では「平播の役」と呼び、万暦三大戦の一つでもあった。


 海龍屯は中国の唐・宋時代の羈燦政策と元・明時代の土司制度による産物であり、中国の少数民族政策が羈燦政策から土司制度へ、さらに「改土帰流」へと移り変わった歴史を示している。ここも有名な「平播の役」の主戦場であり、播州の土司を世襲した楊氏一族による725年間におよぶ栄華と没落を示している。


 海龍屯遺跡は2013年に「全国十大考古学的新発見」に登録され、2015年に「世界十大重要考古学的発見」に登録された。



遵义海龙屯


  贵州有丰富的土司文化遗迹,其中以遵义海龙屯土司城堡遗址最为著名,被誉为“绝壁上的土司宫殿”。2015年7月,在德国波恩召开的第39届世界遗产大会上将其列入世界遗产名录,遗址区面积含遗产区和缓冲区共12.9平方千米。


  海龙屯位于遵义市(旧称播州)高坪镇海龙屯村龙岩山巅,始建于南宋宝祐五年(1257),屯上建有九个关口,毁于明万历二十八年(1600)的平播之役。海龙屯地势险要,屯上最高海拔1354米,屯下海拔974米,相对高差近400米。其中最险要的当数“天梯”,古称“三十六步”,长55米,坡度45度,中间踏步宽2.7米。


  1257年,为了阻止蒙古军队南下,当时的播州官员谋划构筑这一军事城堡。两年后,蒙哥汗战死重庆合川钓鱼城。海龙屯和钓鱼城之间在同一时期构造军事堡垒不是巧合,而是和播州人擅长筑城有密切关系。钓鱼城的营造者正是播州人冉琎、冉璞兄弟俩。元朝大军铁蹄受阻,只好绕道云南进攻中原王朝。明朝万历二十七年(1599),播州宣慰使杨应龙举兵反明。朝廷调24万大军攻破海龙屯,史称“平播之役”,也是万历三大征之一。


  海龙屯是中国唐宋羁縻之制和元明土司制度的产物,见证了中国少数民族政策由羁縻之制到土司制度再到“改土归流”的演变。它也是著名的“平播之役”的主战场,见证了播州杨氏土司家族长达725年的兴衰。


  2013年,海龙屯遗址考古被列为全国十大考古新发现之一;2015年,海龙屯考古被列为世界十大重大田野考古发现之一。