中国共産党の誕生

(中国共産党創立100周年)

发布时间:2022-07-11 | 来源:中国網日本語版

中国共産党の誕生


 中国共産党は1920年代に誕生した。それは近代中国の社会と中国人民革命闘争が発展を遂げた必然的な結果であり、マルクス・レーニン主義と中国の労働運動が互いに結合した産物だ。


 1920年初め、中国共産党創設者の李大釗と陳独秀は北京と上海でそれぞれ活動し、中国共産党創設を準備した。同年3月、李大釗は北京大学マルクス学説研究会を設立した。これは中国で最初にマルクス主義を学習、研究した団体だ。同年5月、陳独秀は上海でマルクス主義研究会を組織した。その基礎の上で、同年6月、陳独秀らは共産党組織を設立することを決めた。陳独秀は党の名称について李大釗に意見を求め、李大釗は「共産党」と名付けるよう主張し、陳独秀は完全に同意した。


 調整と準備を経て、1920年8月、上海の共産党の初期組織が正式に成立し、「中国共産党」と命名された。これは中国で最初の共産党組織だ。北京の共産党の初期組織は1920年10月に正式に成立し、当時「共産党小組」と命名された。その後、武漢、長沙、済南、広州などに相次いで共産党の地方組織が設立された。欧州と日本では、中国人留学生と華僑の中の進歩的な人々も共産党の初期組織を設立した。各地における共産党の初期組織の設立は、マルクス主義のさらなる普及と中国の労働運動との結合を力強く促進し、中国での共産党設立の条件を整えた。


 1921年7月23日、中国共産党第1回全国代表大会(第1回党大会)が上海で開催された。外部の妨害を受けたため、最終日の会議は浙江省嘉興の南湖の遊覧船に移って開催された。国内各地と在日の初期の党組織代表である李達、李漢俊、董必武、陳潭秋、毛沢東、何叔衡、王尽美、鄧恩銘、張国燾、劉仁静、陳公博、周佛海が大会に参加した。陳独秀の指定した代理として、包惠僧が同じく大会に参加した。彼らは全国50人余りの党員を代表していた。コミンテルン代表のマーリンとニコルスキーも大会に列席した。大会は「中国共産党綱領」を討論、採択し、党名を「中国共産党」に確定した。党綱領は次のように規定された。革命軍隊は必ずプロレタリアートと共にブルジョアジーの政権を倒さなければならない。階級闘争が終結するまで、すなわち社会の階級区分が消滅するまで、プロレタリア独裁を承認する。資本家の私有制を滅ぼし、機械、土地、工場、半製品などの生産手段を没収し、社会の共有にする。第3インターナショナルと連合する。党綱領はまた、労働者、農民、兵士を組織することをはっきり打ち出し、党の根本的な政治目的は社会革命の実行だと認めた。党綱領はこのほか、党規約の性質を持つ若干の条文を含んでおり、民主集中制の組織原則と党の規律を規定した。大会は決議を採択し、中国共産党創立後の中心的任務は労働運動の指導だとはっきり決め、労働運動の組織、宣伝業務などの展開について具体的な規定を定めた。大会は中国共産党中央の臨時指導機関である中央局を選出した。陳独秀が書記になり、張国燾が組織業務を、李達が宣伝業務を受け持った。


 第1回党大会は中国共産党の創立を正式に宣言した。この時、全く新しく、マルクス・レーニン主義を行動指針とし、社会主義と共産主義の実現を奮闘目標とする統一的な唯一のプロレタリア政党が、古めかしく立ち遅れていた中国に出現した。これは近代以降の中国社会の進歩と革命の進展の客観的な要求であり、中国の歴史で天地開闢以来の大きな出来事だった。中国共産党が生まれて中国革命の様相は一新された。



中国共产党诞生

 

  中国共产党诞生于20世纪20年代,是近代中国社会及中国人民革命斗争发展的必然结果,是马克思列宁主义同中国工人运动相结合的产物。


  1920年年初,中国共产党创始人李大钊与陈独秀在北京和上海分别活动,筹建中国共产党。3月,李大钊发起成立了北京大学马克思学说研究会,这是中国最早的学习和研究马克思主义的团体。5月,陈独秀在上海组织了马克思主义研究会。在此基础上,同年6月,陈独秀等决定建立共产党组织。关于党的名称,陈独秀征求李大钊的意见,李大钊主张定名为“共产党”,陈独秀表示完全同意。


  经过酝酿和准备,1920年8月,上海的共产党早期组织正式成立,取名为“中国共产党”,这是中国的第一个共产党组织。北京的共产党早期组织于1920年10月正式成立,当时取名为“共产党小组”。此后,武汉、长沙、济南、广州等地先后建立起共产党的地方组织。在欧洲和日本,中国留学生和侨民中的先进分子也建立了共产党的早期组织。各地共产党早期组织的建立有力促进了马克思主义的进一步传播及其同中国工人运动的结合,为在中国建立共产党准备了条件。


  1921年7月23日,中国共产党第一次全国代表大会在上海召开。因受外部干扰,最后一天的会议转移到浙江嘉兴南湖一艘游船上举行。参加大会的有国内各地及旅日早期党组织的代表李达、李汉俊、董必武、陈潭秋、毛泽东、何叔衡、王尽美、邓恩铭、张国焘、刘仁静、陈公博、周佛海,还有陈独秀指定的代表包惠僧。他们代表着全国50多名党员。共产国际代表马林和尼科尔斯基列席了这次大会。大会讨论并通过了《中国共产党纲领》,确定党的名称为“中国共产党”,规定党的纲领是:革命军队必须与无产阶级一起推翻资本家阶级的政权;承认无产阶级专政,直到阶级斗争结束,即直到消灭社会的阶级区分;消灭资本家私有制,没收机器、土地、厂房和半成品等生产资料,归社会公有;联合第三国际。党纲明确提出,把工人、农民和士兵组织起来,承认党的根本政治目的是实行社会革命。党纲还包含属于党章性质的一些条文,规定了民主集中制的组织原则和党的纪律。大会通过决议,确定中国共产党成立后的中心任务是领导工人运动,并对开展工人运动的组织和宣传等工作作了具体规定。大会选举产生了中国共产党中央临时领导机构——中央局,陈独秀为书记,张国焘负责组织工作,李达负责宣传工作。


  中共一大正式宣告了中国共产党的成立。从此,在古老落后的中国出现了完全新式的、以马克思列宁主义为行动指南的、以实现社会主义和共产主义为奋斗目标的、统一的和唯一的无产阶级政党。这是近代以来中国社会进步和革命发展的客观要求,是中国历史上开天辟地的大事件。自从有了中国共产党,中国革命的面貌焕然一新。