井岡山革命根拠地
1927年10月、毛沢東は秋収蜂起部隊を率いて江西省井岡山に到着し、寧岡県、永新県、茶陵県、遂川県などで前後して武装兵力を発展させ、遊撃戦争を展開した。悪徳地主を倒して田畑を分配するよう農民を指導し、赤色政権を樹立し、「労農武装割拠」を実行し、農村革命根拠地を創設した。
1928年4月下旬、朱徳と陳毅は南昌蜂起で残った部隊と湘南蜂起の農民軍を率いて井岡山に到着し、毛沢東の指導する労農革命軍と合流し、労農革命軍第四軍(後に労農紅軍第四軍に改称)に再編成された。毛沢東が党代表と軍事委員会書記に、朱徳が軍長に就任した。5月20日、毛沢東は中国共産党湖南・江西省境第1回代表大会を取り仕切って開催し、会議では毛沢東を書記とする湖南・江西省境特別委員会が設置された。10月、中国共産党湖南・江西省境第2回代表大会は毛沢東の起草した決議を採択した。それは中国の赤色政権の誕生と存在の理由を分析し、「労農武装割拠」実行の意義と経験を指摘し、党内と紅軍内部で提起された「赤旗は一体いつまで掲げられるのか」との疑問に次のように答えた。引き続き前向きに発展する革命情勢があり、優秀な党があり、かつ正しい政策を策定し、優秀な大衆が存在し、相当の力を持つ紅軍があり、戦闘に有利な地形があり、給養を十分に賄える経済力がありさえすれば、赤色政権は存在し発展できる。12月、彭徳懐と滕代遠の率いる紅五軍の主力が井岡山に到着し、紅四軍と合流した。その後、紅軍は敵の「討伐」を繰り返し粉砕した。根拠地は絶えず拡大し、全盛期には寧岡県、永新県、蓮花県、遂川県、吉安県、安福県の一部などを含めた。1929年1月、毛沢東と朱徳が紅四軍の主力を率いて江西省南部、福建省西部に挺進した後、彭徳懐は一部の紅軍を率いてとどまり、井岡山の闘争を続けた。
革命が沈滞していた時期、農村革命根拠地の設立は中国革命の発展の正しい方向を示した。中国革命の中心事業が都市から農村への偉大な戦略的移転を成し遂げるため、「農村から都市を包囲し、武力で政権を奪取する」という新たな道を切り開いた。
井冈山革命根据地
1927年10月,毛泽东率领秋收起义部队到达江西井冈山,先后在宁冈县、永新县、茶陵县、遂川县等地发展武装力量,开展游击战争,领导农民打土豪分田地,建立红色政权,实行工农武装割据,创建农村革命根据地。
1928年4月下旬,朱德、陈毅率领南昌起义保存下来的部队和湘南起义农军到达井冈山,与毛泽东领导的工农革命军会师,合编为工农革命军第四军(后改称工农红军第四军),毛泽东任党代表和军委书记,朱德任军长。5月20日,毛泽东主持召开中国共产党湘赣边界第一次代表大会,会上成立了以毛泽东为书记的湘赣边界特委。10月,中国共产党湘赣边界第二次代表大会通过了毛泽东起草的决议,分析了中国红色政权发生和存在的原因,指出实行“工农武装割据”的意义和经验,回答了党内和红军内部有人提出的“红旗到底打得多久”的疑问:只要有继续向前发展的革命形势,有很好的党并制定正确的政策,有很好的群众,有相当力量的红军,有便利于作战的地势和提供足够给养的经济力,红色政权就能够存在和发展。12月,彭德怀、滕代远率领红五军主力到达井冈山,与红四军会师。此后,红军粉碎了敌人多次“进剿”,根据地不断扩大,全盛时期包括宁冈县、永新县、莲花县和遂川县、吉安县、安福县部分等地。1929年1月,毛泽东、朱德率领红四军主力向赣南、闽西挺进后,彭德怀率一部红军留下坚持井冈山的斗争。
在革命低潮时期,农村革命根据地的创建,代表着中国革命发展的正确方向,为中国革命的中心工作完成从城市到农村的伟大战略转移,开辟了“农村包围城市,武装夺取政权”的新道路。