延安整風運動
1935年1月に開催された遵義会議は中国共産党内における王明の「左」傾路線の支配を終わらせたが、党内のこれまでの「左」傾、右傾の誤った思想はいまだ一掃されておらず、党風(党活動)の不正、学風(学習態度)の不正、文風(文章表現)の不正の問題が依然として存在していた。中国共産党中央は全党的な範囲で大規模な整風運動を展開することを決定した。歴史上、これは延安整風運動と呼ばれる。
この整風運動の内容は、主観主義に反対することで学風を整頓し、セクト主義に反対することで党風を整頓し、党八股(党内の形式主義的、教条主義的な文章)に反対することで文風を整頓することだ。整風運動が取った方針は「過去の失敗を戒めとし、欠点を批判して立ち直らせる」ことであり、取った方式は「団結―批判―団結」だ。整風運動は党の高級幹部の整風、一般幹部と一般党員の整風という二つのレベルで進められた。重点は党の高級・中級幹部、特に高級幹部の整風だ。
整風運動は三つの段階を経た。第1段階は1941年5月~1942年2月で、これは全党の整風の準備段階だ。重点は党の高級幹部がマルクス・レーニン主義理論を学習し、思想認識の水準を高めたことだ。第2段階は1942年2月~1943年10月で、全党に整風が広まった段階だ。党員幹部のマルクス・レーニン主義学習を組織し、誤った考え方と気風を是正することを重視した。第3段階は1943年10月~1945年4月で、高級幹部があらためて党の歴史を学習し、歴史的経験を研究し、討論し、総括し、批判と自己批判を展開し、路線の是非をはっきりさせた。
延安整風は全党的な範囲のマルクス主義思想教育運動であり、偉大な思想解放運動でもあった。それはマルクス主義と中国の実情が互いに結び付いた正しい方向を堅持し、全党の思想政治路線を正し、マルクス主義の教条化、コミンテルン決議とソ連の経験の神聖化という誤った傾向を打破した。それは党の建設を強化する偉大なプロジェクトの発明であり、党の戦闘力を増強した見事な実践だった。これで積み重ねられた経験は、中国共産党自身の建設にとって重大で深遠な意義を持った。延安整風運動は第7回党大会の成功裏の開催にも基礎を打ち固めた。
延安整风运动
1935年1月召开的遵义会议虽然结束了王明“左”倾路线在中国共产党内的统治,但党内历次“左”、右倾错误思想尚未肃清,仍然存在着党风不正、学风不正和文风不正的问题。中共中央决定在全党范围内开展一次大规模的整风运动,史称延安整风运动。
这次整风运动的内容是反对主观主义以整顿学风,反对宗派主义以整顿党风,反对党八股以整顿文风。整风运动采取的方针是“惩前毖后,治病救人”,采用的方式是“团结—批评—团结”。整风运动分为党的高级干部整风、一般干部和普通党员整风两个层次进行,重点是党的中高级干部特别是高级干部的整风。
整风运动经历了3个阶段:第一阶段,从1941年5月到1942年2月,是全党整风的准备阶段。重点是党的高级干部学习马列主义理论,提高思想认识水平。第二阶段,从1942年2月到1943年10月,是全党普遍整风阶段,着重组织党员干部学习马列主义,清理错误的思想方法和作风。第三阶段,从1943年10月到1945年4月,高级干部重新学习党的历史,研究、讨论、总结历史经验,开展批评与自我批评,弄清路线是非。
延安整风是一次全党范围的马克思主义思想教育运动,也是一次伟大的思想解放运动。它坚持马克思主义同中国实际相结合的正确方向,使全党端正了思想政治路线,破除了把马克思主义教条化、把共产国际决议和苏联经验神圣化的错误倾向。它是加强党的建设伟大工程的一个创造,是增强党的战斗力的一次成功实践。它所积累的经验对中国共产党的自身建设具有重大和深远的意义。延安整风运动,也为中共七大胜利召开奠定了基础。