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第24回 災害と日本人の国民性②寺田寅彦 |
発信時間: 2008-12-18 | チャイナネット |
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近代において日本人にとって忘れられない大災害の一つが関東大震災です。1923年(大正12年)9月1日、関東地方南部を襲った大地震により、死者・行方不明者10万5千人余り、家屋の全壊10万9千、焼失21万2千という大きな被害が生じました。日本では、9月1日は災害を忘れないようにし、防災訓練をする日となっています。 寺田寅彦(てらだ とらひこ)という大変高名な日本の物理学者(地震学者でもあります)で、かつ随筆家、俳人がいました(1878年(明治11年)生まれ、1935年(昭和10年)逝去)。彼は文豪夏目漱石とも交流がありました。寺田寅彦の随筆は名文とされており、私も中学生の時に先生に薦められて読んだことがあります。関東大震災その他の災害の経験も経て、寺田寅彦は、「天災は忘れた頃にくる」という名言を残しました。この言葉は、常に災害に対する備えを怠ってはいけないという意味です。日本では大変有名な言葉であり、今でも使われる標語です。 日本の著名な宗教学・思想史研究者である山折哲雄氏は、寺田寅彦が1935年(昭和10年)に書いた『日本人の自然観』という随筆に注目して、以下のように述べています。 「そのエッセイでかれ(=寺田寅彦)がいっている第一のことは、西欧の自然は比較的安定しているのにたいして、日本の自然はきわめて不安定で、しばしば予測のつかない脅威をひきおこすということだった。その脅威の典型が地震、津波、台風であるという。 そのような経験の中から、自然の前で従順に生きる知恵が生まれ、自然を師として学ぶ謙虚な態度が育まれていった。それだけではない。日本人の科学もまた、自然に反逆することを断念し、自然に順応するための経験的な知識を蓄積することで形成された。 ・・・日本の科学は自然の前に首を垂れ、対症療法的で、非攻撃的な性格を育てることになったのだと指摘しているのである。 ・・・さらに私が重要だと思うのは、かれ(=寺田寅彦)がこのような日本の自然の特質を10年、50年の単位においてではなく、5百年、千年の単位で考えていたということだった。 おそらくそのためであろう。かれ(=寺田寅彦)はこのような日本人の自然への随順、風土への適応という態度のなかに、仏教の無常観と通ずるものを見出していた。・・・」(山折哲雄『近代日本の宗教意識』(2007年、岩波現代文庫)pp11-12) 寺田寅彦は災害についてさまざまな随筆を残しています。彼が発表した文章を以下の通り引用しましょう。 ●(日本で初めての高層ビルでの火災の後、火災対策として、)「これに処する根本的対策としては小学校教育ならびに家庭教育において児童の感受性ゆたかなる頭脳に、鮮明なるしかも持続性ある印象として火災に関する最重要な心得の一般を固定させるよりほかに道はない・・・」(『火事教育』1933年(昭和8年)) ●「地震津波台風のごとき西欧文明諸国の多くの国々にも全然無いとは言われないまでも、頻繁にわが国(=日本)のように激甚な災禍を及ぼすことは、はなはだまれであると言ってもよい。・・・数年来の災禍の試練によって日本国民特有のいろいろな国民性のすぐれた諸相が作り上げられたことも事実である。」(『天災と国防』1934年(昭和9年)) ●「『地震の現象』と『地震による災害』とは区別して考えなければならない。現象のほうは人間の力でどうにもならなくても『災害』のほうは注意次第でどんなにでも軽減されうる可能性がある。」(同上) ●「天災の強敵にたいして平生から国民一致協力して適当な科学的対策を講じる」ことは、「20世紀の科学的文明国民の愛国心の発露」であると指摘。(同上) ●(災害により建物が倒壊した場合、)「その設計の詳細をいちばんよく知っているはずの設計者自身が主任となって倒壊の原因と経過とを徹底的に調べ上げて、そうしてその失敗を踏み台にして徹底的に安全なものを造りあげるのが、むしろ本当に責めを負うゆえんではないか・・・。」(『災難雑考』1935年(昭和10年)雑誌「中央公論」所収) ●「日本人を日本人にしたのは実は学校でも文部省でもなくて、神代から今日まで根気よく続けられてきたこの災難教育であったかもしれない。」(同上) ●「あらゆる災難は一見不可抗的のようであるが、実は人為的のもので、従って科学の力によって人為的にいくらでも軽減しうるものだという考えをもう一ぺんひっくり返して、結局災難は生じやすいのにそれが人為的であるがためにかえって人間というものを支配する不可抗な法則の支配を受けて不可抗なものであるという、奇妙な回りくどい結論に到達しなければならないことになるかもしれない。」(同上) (以上、『寺田寅彦随筆集』(岩波文庫)から引用。) これらの記述から寺田寅彦の姿勢について、私なりに結論を出せば、以下の通りです。 第一に、寺田寅彦は、日本が地震、台風、津波などの天災を多く受けてきたことを踏まえ、その対策を粘り強く講じてきたことで日本人の国民性が形成されてきたことに着目しています。 第二に、災害を防ぐためには、あらゆる角度からの科学的な研究を十分極め、また徹底した防災教育が必要と言っています。 第三に、同時に、災害には、人為的な要素もあり、その問題への取り組みも難しいかもしれないが必要であると示唆しています。 最後に、天災による災害を完全に防ぐことはできないかもしれませんので、その意味での「無常観」があるかもしれません。しかし、対策を講じないで諦めるということではありません。日本でさまざまな災害が起きるごとに、寺田寅彦は必要な対策について意見を発表しています。つまり、対策は可能な限り講じるという姿勢は一貫していることが指摘できます。 (井出敬二 前在中国日本大使館広報文化センター所長) 「チャイナネット」2008年12月15日
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